80ばあちゃんの戯言(2)

聞いてほしくて(つづき)

ワンガリ・マータイさん(1)

2017-02-05 13:04:46 | 最近の出来事
2月2日に放映された“ザ・プロファイラ-未来を信じ続けた緑の闘士”

よりの抜粋

今から10年ほど前、世界で注目を集めたのは、

“もったいない!”と言うアフリカの環境保護活動家 ワンガリ・マータイ

さんの言葉であった。

2004年ノーベル平和賞を受賞されたが、1989年イギリスのダイアナ

元皇太子から、“Women of the year ことしの最優秀女性 ”とでも訳した

らいいのかよくわからないが、とにかくそういう賞もいただいている女性で、

ヒラリークリントンさんも“友であったことを誇りに思うと言われている。

長年アフリカの大地に木を植えるグリーンベルト運動を展開して来た女性で

ノーベル賞受賞後、日本に来日した時に、“もったいない!”の言葉を覚えて

世界に広めていった女性でもある。

マータイさんは東アフリカにある高原の農家にうまれた。其処では非常に貧し

いと言う生活ではなかったが、当時男の子は学校に通わせるが女の子は幼い時か

ら母親の手伝いをし、学校には通わせてもらえないのが一般的であった。

女の子は薪運び、水汲みなどのすべての家事を手伝うという男尊女卑の社会で

あった。

ある日、水汲みに行く前に母は、あのイチジクの木は神様の木だから

あの前で薪はとらないようにと注意した。



8歳の時、兄が、“どうして、マータイは学校に行かないのか?”と、母

に聞いたので、母は“そうね、学校に行かない理由はないわね”と言って、

マータイを学校へ行かせることにした。その頃、先に学校に行って字を覚えた

いとこが、字を書いて、それを消しゴムで消したのを見て、魔法のように思い

一生懸命勉強し、高校をトップの成績で卒業、アメリカに留学させてもらうこ

とになった。

アメリカの大学では、生物学を専攻し、そのもう勉強振りは周囲を驚かせたと

いう。

1963年ケニアは独立。その二年後マータイさんは帰国して、ナイロビ大学

の獣医学部で、助手として働き始めた。

ケニアの政治家達は“あなた方はこの国の未来をになうリーダーです。留学後

はケニアに戻り、国を作り上げることに力を尽くしてください。“と言っていた

のです。

マータイさん

“それを忘れたことはありません。われわれはケニアに戻り国の発展に尽くす

と、常に意識していました。“

でも、故郷に帰ったマータイさんは愕然としました。あのイチジクの木が切り

取られ、小川も消え、蛙の卵やおたまじゃくしや魚もいなくなっていました。

原因は独立後に出来た新政府の政策にありました。商品作物を作って外貨を

稼ぐために、木を伐採し、コーヒーやお茶の木が植えられたのです。この政策

のため大規模な森林伐採が行われ、森林がなくなっていくことで、小川が消え、

飲み水も遠くまで汲みに行かなければならなくなり、薪がなくなり、食事を用

意するための火もあまり使えないので、加工食品を使うようになり栄養状態が

どんどん悪くなって、病人が増えていきました。



(つづく)













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