かつて、広田湾に沿って人々が集まっていた町。
あの日から1年と3ヶ月を過ぎて、なおも片付けは続いている。
町の断片は積み重なり、かつての穏やかな町の風景は消えた。
それでも、生き残った人々は、今日を明日を生きるために、日々精進している。
点々と、使えそうな場所を探し出し、仮設の商店が出来た。
海辺から少し離れるように道を進むと、所々に店がある。
唐桑から陸前高田に入ると、気仙川に架かる気仙大橋を渡って、そのまま東に伸びる通りがある。
この道沿いに、道の駅や海と貝のミュージアムがあった。
震災前に寄ったことがある思い出の場所。
(2012‐6‐12:道の駅)
もう一つ、唐桑方面から気仙大橋を渡って、左手(西側)に曲がる通りがある。
こちらを進むと、県立高田病院がある。
近くに駅があったはずだが、建物が消えて、何がどこだったか分らなくなる。
県立高田病院近くから、陸前高田市の中心部だった所を見る。
町の断片が積みあがる向こうに、市役所が見えた。
その右手にとんがり屋根のふれあいセンターが見え、
さらに右へ目を移すごとに、中央公民館と体育館などの施設が、
そして青い屋根の高田高校が見える。
市役所と高田高校の間辺りにある、中央公民館の一画。
一番手前に見える白い建物は、高田ポンプ場。
これは、駅の南側が田んぼで、その脇を古川沼へと流れる「川原川」の傍にある。
雨水を汲み上げて排水する施設だが、被災して停止した。
その左に、塔の形の時計が見え、奥に白い大きな屋根が見えるのが、併設している中央公民館と体育館だ。
隣接して、図書館や博物館があり、一番奥の左側に見えるのが消防署。
ここは、一区画に施設がまとまっていた。
この残っている建物も、壊れて解体を待っている状態だ。
ここで犠牲になった方もいる。
中央公民館と体育館は避難所だったが、津波に襲われた。
宮城の津波被災地に、度々足を運んでいるが、1年3ヶ月を過ぎた陸前高田を目にした時、やはり口元がこわばり、切なくなった。
残された者には、失った命の尊さが身に染みる。
けれども忘れないで。生きる人の命も等しく尊いことを。
苦しくもあり、楽しさもある日々。
思いを引き継ぎ、無念に去った人を安堵させるように踏ん張る人々がいる。
今を生きる人を、励まそうと踏ん張る人もいる。
これからを生きる命の、その輝きも尊い。