仙台空港の東南辺りに、岩沼市の相の釜という地区がある。
荒浜に近いため、津波の被害が大きかった。
貞山堀を渡る「相の釜橋」の袂に、「相の釜水防倉庫」がある。
水害の時に積む土嚢や、スコップなどの道具が収納されていたが、空っぽの倉庫が橋と共にその地を見守るみたいに静かに建っている。
相の釜橋を渡ると、海沿いに南へと向かい亘理大橋を渡って亘理荒浜に出る道があるのだが、今は震災の片付けのため通行止めになっている。
そのため、相の釜橋から少し西の、いくつかの工場の間を通る岩沼市空港南地区の道から、亘理へと向かう。
道の東側に「いぐね」の跡が見える。
「いぐね」は、民家を樹木で囲んだ屋敷林だが、あの津波にも残ったとは驚きであった。
「いぐね」が残っていることから、この屋敷林が災害による被害を軽減すると考えられる。
周囲は、今の時期に早苗が光っているはずの田んぼであったが、津波の後で作付けの無いままだ。
この辺りは、岩沼市の復興会議で、計画的に丘陵を造成することや、住宅や施設移転のための整備と、集落全体を囲む新たな「コミュニティいぐね」を作るなどの計画が出された。
農地の活用も、被災状況に応じて、場所によっては水田からトマトなどの耐塩性植物の栽培に切り替えるという構想もある。
計画に添うと、地区によっては町割りや農地の区割りが新しくなるので、作付けの無い農地があるのだろう。
あの時、空港南地区の東面に沿って亘理方面に続く道路も、濁流が襲った。
その道では今も、歩道脇の柵が変形したままだ。
相の釜橋や仙台空港から近い、空港南地区には「フジパン」の工場もある。
昨年3月の下旬に、竣工式をするはずだった東北フジパンの工場も津波に遭った。
工場の2階まで真っ黒な水が押し寄せるのを、工場内で仕事をしていた人々が、屋上まで逃げて目の当たりにしたという。
それでも、フジパンは操業を開始してくれた。
昨年10月から工場が稼動し、地元の人々の働く場が一つ守られている。