ふくらく通信

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残されたものの記憶:石巻市八幡~湊(2013年2月の記録)

2017-09-28 12:10:45 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

石巻の中心部から、石ノ森萬画館を右手に見て橋を渡る。

内海橋沿いの遊歩道は、まだ壊れたままだ。

「満潮時には冠水するため立ち入り禁止」という札が立っている。



橋を渡った先は八幡地区。

歩道橋に差し掛かると、階段の途中に付いている信号のすぐ脇に、「東日本大震災 津波浸水ここまで」の表示があった。

(↓八幡町歩道橋:奥の階段で信号機脇に表示がある)

 

もう少し進むと湊地区となる。

湊歩道橋の脇には湊小学校がある。

建物や校庭を見ると、津波被害を受けたことが察せられる様子で残っている。

(↓湊歩道橋と、左脇に湊小学校)


校舎は1階天井まで浸水し、体育館も床上3メートル津波到達と記録されていた。

(調査:日本建築学会 記載文書:教育委員会学校復旧計画)


震災当時、湊小学校は避難所として使われた。

震災直後には1400人ほど避難し、津波が来るからと2階へ移動を指示したため、逃げおおせたという証言がある。(大阪市コミュニティ協会の現地調査)


その後も避難所として人々が宿泊し、市の調査では470名ほどが滞在していたという。

そこでは、様々な人々の思いと人生が交錯した数ヶ月の暮らしが撮影され、記録映画として残されているそうだ。


あの日から明日で2年。


今も残されている物は、あの日から始まった苦難と、助け合い、踏ん張って輝く人々と共にあった。

そして、通りかかる人々に、その記憶を伝えているように思える。



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