ヒトリ言。と、回顧録

些細な独り言。音楽と海外ドラマ好き。映画は時間があれば見たい。ブログは最近失速気味。

12月12日開催

2004年12月12日 17時09分02秒 | 日記
最近、何だか良く乗っているK急様主催トークショーを視聴。

応募総数5000通。と言う嘘臭い話しだが、もし、それが本当なら今回の当選は個人的にとってもすごい。と思っている(笑)一緒に応募した友達も当たったし。
でも、彼女も私も至ってくじ運などが良い方ではないので、やはり5000通は嘘だ。と言うのが結論だったりする。

ホッシーがまずはお出迎え。気軽に肩などを叩かれた。相変わらず可愛いホッシーである。
トークショーで一番面白かったのは、特別ゲストの明夫さんと、ステージで進行役に絡んでいたホッシーだったかもしれない(笑)あ、あと栗原さんのMC♪あ、それから相川くんの私服ね。うん。←一応お約束。

最近、こういう演出づいてるらしい横浜イベント
選手登場は、階段をスポット浴びながら演歌歌手ばりに降りてくる。
うーむ・・。恥かしい・・・。別に私が降りる訳じゃないけど(笑)
でも、そうすることで、見にきているファンと、近づける時間が増えるから、それはそれでいいのかな。
個人的には、明夫さんにも、そうやって登場して欲しかったな(笑)

これを書いている今日は16日で、だいぶ中身を忘れてきているー。

客席からの質問で、牛島組長はどんな人ですか?みたいな質問が子供さんから出た。別に子供さんが、組長と言った訳じゃないけど。
三浦くんは「今までにも会話はしたことがあり、笑顔を絶やさない人だけど、ちょっと何を考えているのか分からない様な感じもある。」みたいなことを言っていた。
相川くん「キャンプで接していて色々話しをして、野球に対して熱い人だな。と・・・。優しそうな感じだけど、怒らせない方がいいかな。と思いました」と牛島組長の印象を語っていた(笑)
その、相川くんのコメントに対して、「だって浪商だぜ?」と言っていた三浦くんに大笑いした。
多分、相川くんにそれを言っても通じないかと思われますが(笑)年代的にも地域的にも(笑)
私は年代的に想像つくけどー。しかもあの週べの写真を見たら尚更(笑)
関根さんみたいに、笑いながら足を踏むのか(笑)星野さんみたいに熱くベンチを蹴るのか、権さんみたいに「ばかやろー!」と言って済むのか・・・・・
おぉ・・・・想像すると恐い・・・・・・ふふふふ(笑)

別の方から「古木選手の守備は、上手くなったのでしょうか」と、三浦くんに質問があり、「三浦くんに聞くんだ!!」と、大笑いしてしまった(笑)
「外野になってからは、大丈夫なんじゃないですかね。一生懸命練習してますよ」
と三浦くんは答えていた。
うん。サードよりは全然良いと思う。大丈夫。とは思わないけど(笑)
でも、もはやあれはあれで、古木くんの味だからな(笑)

この2人なんのでオリンピックの話しが少し出た。
ホッシーが、三浦くんのメダルを首にかけ、相川くんのメダルを手に登場。
栗原くんに「どう考えても、その頭を、メダルは通らないだろう!」と、突っ込まれてタジタジしていたホッシーが、可愛かった。
栗ちゃんが、せっかく三浦くんとオリンピックの話しをしていたのに、テーブルに無造作?においた相川くんのメダルを、コソコソ盗ろうとしてるホッシーに、お客さん(私含む)はクスクスと笑い出し、栗ちゃんに「気が散るんだよ!!」と怒られてしまうホッシーであった。
通常のトークショー?とかであれば、アテンダーの方とかがやる仕事をホッシーがこなしていて、そういう雰囲気もお子さん達には良かったと思う。私も楽しかったけど(笑)あれがレックでも結構おかしかったと思う(笑)
ちゃんと笑いをとって、ステージから出捌けするホッシーのアテンダーぶりは本当に上出来でしたよ♪花丸です♪
で、オリンピックの話し
「しんどかった」と言う三浦くん。(と言うか、ホッシーのせいで、ここしか聞いてなかった(笑))
「夢の様な時間だった」と言う相川くん。
2人とも、とても充実した時間を過ごせた様で、日本のレベルの高いプレイヤー達と一緒に闘えたこと。その時間を一緒に過ごした仲間と、その時間そのものが、彼ら2人の人生の財産になっただろうな。と、改めて羨ましく思った。
村田くんの打率が、アテネで一番気になっていた。とかそんな話しは出なかったけど(笑)
個人的には、もっとオリンピックでの裏話ではないけど、そういった目に見えない部分の話しを聞きたかったので、そこまで話しが至らなかったのは少々残念だった。

2人の銅メダルは、ホワイエに展示されていた。
こういったものを近くで見ることは出来ないので、ショーケースには入っていたけど、近くで見れたのは嬉しかった。

明夫さんの話しで、笑わせていただいたのは、巨人さん戦に弱い三浦くんの話しから出た、とある審判さんの話し。
投手として勝っていくには、審判さんとの相性や、審判さんを把握することも大事。と。
時には審判さんを選ぶことも大事。と(笑)
某審判さんは、ストライクゾーンが狭いので、球威とかではなくコントロールで討ち取っていく三浦くんには、しんどい。と某審判さんを名指しに(笑)
栗「そんなこと言っちゃっていいんですか?」
明「だって、俺はもう関係ないから」(爆笑)
明「それに、俺は、これは、三浦に言ってるだけなんだからいいんだよ。な!」
みたいな・・・明夫さん、その「な」は、誰に対しての「な」なんでしょうか(笑)
栗「あ、三浦さんに助言としてね」
明「そう。あとね、巨人の桑田も言ってた」(爆笑)
明夫さんも可笑しかったんだけど、ここで、話題になった審判さんが、その人だから余計に可笑しくて、笑い倍増だった。
明「選手もみんな練習して、頑張ってる訳ですから、審判にも向上してもらわないとね」
と、最後はうまくまとめていた明夫さんでありました。

オークションなどの時間もあった。
三浦くんが金額を上げていくたびに、申し訳ない感じになっていくところに人の良さが出ていた。
「自分のお金になる訳じゃなくて、寄付をする為なんだからいいんだよ」とか脇で言っていた明夫さんでしたが、いざ、自分の物をオークションにかけた時には、やはり「あげにくい!」と言って適当な値段で打ち切っていた(笑)
相川くんは、三浦くんと同じ値段まで持っていけたので安心していた(笑)
ってーか、自分でちゃんと品物持ってこようね。

三浦くんはイベント慣れしているので、仕切りも上手。子供たちに対しては、三浦くんらしい配慮をしていた。
最後の駄目押しの配慮をしたのは明夫さんだったけど(笑)
「すぐ(品物を増やす)用意できるでしょ?」
とステージから仕切りの人を恐喝!
無事、子供たちにオークション品が行き渡りました(笑)

全体で、1時間半くらいだったのかな?
明夫さんの話しも聞けて、楽しかった。

最後は、全員がステージ上の2選手とハイタッチをして終了。
明夫さんにもいて欲しかったなぁ~(笑)

そうだ!明夫さんを見て思ったことがあったんだ!
足・・・細い・・・・そして・・・・長い・・・。
神宮とかで見かけても、そんな風に思ったことってなかっただけど、カウンター用のイスに座っている姿を見て、足をジーっと見てしまった(笑)
「現役2人より、曲げた膝が余ってる・・・・・。」
 
 
と言う訳で、
楽しい時間をどうもありがとうございました!

12月12日の日記

2004年12月12日 08時27分18秒 | 日記
11日夜、スカパー様で、エルトン・ジョンヒストリーを見る。
なんだかんだ言ってイギリスは懐が深い国なんだなー。なんて思ったりする。
当然、そうでない面もある訳だけど・・・
エルトン・ジョンは、自分がゲイであることをカミングアウトしている。
今回の番組内でも、その彼が堂々と出演。
スティングや、ロッド・スチュアートなどと共に、エルトンを語っていた。
エルトンは、国内だけに留まらず、いまだ人気を誇っているし、ダイアナ妃の葬儀の為に歌を歌った。
イギリスの今までのミュージックカルチャーを見てみても、グラムロックなどがあった訳で、ゲイカルチャーが表に堂々と出て来た国でもある。
バイセクシャルである事を公言しているミュージシャンや芸術家も多いし。
文化的な部分に重きを置く国なのかな。と、今回改めて思った。
それは、アメリカのイラク戦争に対してのイギリスの見解を見ても思ったりしたけど・・・
イギリスから、アメリカに人々は移っていった。
同じ宗教を基本的には信じている。
それでも、ここまで感覚が違うのは、出ていったものと、残ったものの違いなのだろうか。

ジャンニ・ベルサーチの殺害、ダイアナ妃の事件
ともに、エルトンにとっては本当に大きな衝撃で、どちらも親しかっただけに、本当に悲しみにくれていたらしい。
悲しみを抑え、ダイアナ妃の葬儀で歌っているエルトンの映像を見ながら、ダイアナ妃と言う人が、世界に訴えていたこと。貢献してきたことなどを、改めて思い返したりして、改めて彼女がもう、この世にいないことを残念に思った。
そして・・・政府、国の力と言うのはJFK同様恐ろしいな。とも・・・・。

昔の会社で繊維業界にいた関係で、ベルサーチ物は良く見ていたし、小物を扱ってもいた。
元来が派手好きな私は、ベルサーチとゴルチェは扱ってる商品の中で好きなブランドだった。
いまだに、どちらも当時見本や、試作品で作ったものなど(などに大きな含みあり(笑))を好んで使っていたりする。
なので、ベルサーチの死は遠くから見ても、非常に残念だった。
あのエッチ臭さはたまらなく好きだったから・・・
って話しが逸れまくりだ(笑)

エルトンは言っていた
「70年代の様な曲が作れない。70年代ほどの曲は作れない」
と・・・・
80年代に、好きな曲が2曲ほどあったが、私もエルトンの曲で好きな曲は70年代の曲が多い。
それでも、新しいものを求め、探り、悩みながら、成長したい。と思いながら、今も歌い、曲を書く。
「ミュージシャンだから、ステージはやっぱり好きだね。」
うん。すごく分かる。
「伝えたい曲があり、伝えたいから人々の前で歌う」
それが、歌手。
ミュージシャンとして、これからどうしていくべきか、エルトンは悩んでいる様だったが、これからもきっと、歌い続け、伝えたいものを伝えていくのだろう。
そういう仕事が出来ること。
それを誇りに思いながら・・・・・
 
 
戦場のピアニスト
をテレビでやるよー!と、相変わらず世の中の動向を全然チェックしていない私に、友達が教えてくれた。
見ようと思っていた映画なので、見ることにした。
こういう映画にありがちなスロースタート。
22時くらいで嫌な予感がしてくる。
これって・・・このままで、最後に一気にスピードアップして、ガッカリして終わりそうな気がする・・。
そして・・・・
・・・やっぱり・・・・。
と言うのが、真っ先に出てきた感想。
実話だし、彼が過ごしてきた時間を描いたものなのだろう。
息をころして生き続けている時間。食物もなく、寒さと闘いながら、ただ、死んでいる様に生きていく。生き延びる為に・・・
そういうのは伝わったんだけど・・・・・。
ポーランド侵攻や、ユダヤ人の方が受けてきた現実、そういった映画や、ドキュメンタリーを他にも見ているせいか、息を潜めて死んだ様に生きる現実に、迫ってくるものがなかった。
心のどこかに、何だかんだ言って、運良く知り合いに助けられ、尚かつ、ピアニストであるから戦闘向きではないにしろ、共に闘うことをせずに、逃げる様にゲットーを出て行ったのが、ずっと心にひっかかっていたのかもしれない。
本当は、こんな簡単な言葉で現してはいけない様な現実がそこにあったのだろうけども・・・
あくまでも映画として。と言う場合に、どういうメッセージを込めたかったのかが伝わりにくい気がした。
本当に、ほんの一瞬出会っただけのドイツ人将校に命を助けられた形になったのかもしれないが、個人的に、このドイツ将校との人間模様が、もう少し絡む映画なのかな。と思っていたので、そういう部分を勝手に思いこんでいたので、余計に、後味があっさりし過ぎた様に見えたのかもしれない。
ソ連軍が、ポーランドに到着し、ドイツ人兵士達は囚われる。
その逆転した場面も、もう少し何かこう・・訴えることが出来た様な気もする。
この映画を見て「アカデミー賞を狙ったな!(笑)」と思っていた、スポルバーグ監督の「シンドラーのリスト」は、やはり巧く作ってある映画だな。と改めて感じた。
当時の残された写真や、映像をオーバーラップさせる様な作り方。
そうすることで、そこにあった現実を突きつけられる映画だった。
そういう部分で、迫る来るものを感じなかったのは、ロマン・ポランスキー監督の作品と、私相性が、あんまり良くないからかもしれないけどな(笑)
 
 
野球
和男くんが、500万増・・・・・

何故だー!!あの防御率で、年間通して上にいなかったのにー!!
髪が変だしー!!!
そして、予想通り、引越し等は、チャッチャと済ませた様ですな(笑)
今回の記事は、スポーツ新聞の「野球」に、載っていたので良かったですな(笑)芸能じゃなくてー(笑)
「21番が空いてましたよ」
なんて、事も言っていたりして・・・
嬉しかった。
ちゃんと、チームメイトの事もしっかり考えてくれていて・・・
一緒に出来るといいね。
 
楽天さん
高額ファンクラブ会員もいいですが、早くそのHPをなんとかして欲しいと思うのですが・・・・
 
 
神奈川の草野球チーム
グレーなの??交流戦用のビジター・・・
うーん・・・それは嫌だなぁ・・・・・