子供の頃の雑誌の口絵でみた夢の超特急、リニアモーターカー。目の黒いうちに見れないのが残念だ。
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画像はネットから拝借しました。(失礼)
我が地は一年の半分は雪の影響を受ける。十一月の終わりから場合によっては五月まで雪は降る。降って積もって溶けての繰り返しに、人も街も疲弊する。
当然、寒いから暖房に金がかかる。昔は薪や石炭、今は石油が主流か。小汚い言い方をすれば、札束を火にくべているようなものか。稼いだ金の何分の一かは燃やしているのだ。
大昔の事を考えれば、夏の間に焚き木を集め冬に備える。もちろん食も大事であるから田畑を耕し漁や猟もする。煮炊きにも火が必要であるから、これまた金を燃やしているのだ。
若い頃に海沿いでキャンプをした事がある。夜、寒いので焚き木を拾って暖をとっていた。燃やすものが無くなってきたので近くの公衆便所の板塀を剥がして燃やした。馬鹿な事をしたものである。
マッチ売りの少女はマッチ一本一本に自分の命を託した。先のキャンプの話しではないが、例えば大昔に居たとして、廻りは大草原で何も無いと仮定して、燃やすものが無くなったら自分の家を少しづつ燃やしていくのだろうか。
そう考えて思うのは、一体自分は何軒の家を燃やして生きて来たのだろうか。ひょっとしたら、小さな町ひとつを焦土と化してしまったかもしれない。もちろん、町に火を放てば大罪であるから空想である。
人類は燃やすものが無くなったら、次に何を燃やすのだろう。と、これまた大仰な妄想が出てしまう。木を燃やし、石炭を燃やして石油を燃やし、次に原子力と人類の欲望の炎は尽きない。
ひょっとして人類はマッチ一本一本を灯して生きているのかもしれない。地球という身銭を切って生きているのかもしれない。掘って剥がして、それを金に換えて、燃やして灰に変えて山にして海に捨てて。
降った雪は春になったら溶けるのだが、灰の山は消えるのだろうか。キャンプでの公衆便所の板塀を剥がした罪は、やがて灰の雪へと変わるのだろう。などと馬鹿な事を言ってないで雪投げをしなければ、である。