妻が不調なので、代わりに住民票を取りにいった。何か身分を証明するものを見せて下さいと言われたのでマイナンバーカードを見せた。この身分証の番号はやたらに桁数が多いし、その上に暗証番号まである。
残念ながら、この番号を憶えられないし、暗証番号も失念している。自分の身分を忘れているのも同然である。まったく円周率や歴史の年数などを記憶できる人の頭が羨ましい。
ジェームズ・ボンドも羨ましい。彼の身分は三桁だ。その上に世界中の人が知っている。007、まさかこれをカード類の暗証番号にしている人はいないだろうが素敵な番号だ。
絵は、さいとうたかを先生の劇画007「黄金銃を持つ男」の表紙絵を参考にして自分流にした。ショーン・コネリーの「ゴールドフィンガー」の宣材写真も資料とした。前出とは違い、背景も手描きだ。ようやく完成した訳だ。
子供の頃、小学校の低学年の頃であったろうか学校から帰ると両親が居ない事の方が多かった。寒い時などは布団にくるまって木目の天井を眺めていた。木目模様は複雑に絡み所々に節目があった。
不思議なもので模様は時には風景に、または人の顔などに見えて愉快であった。少ない情報量に貧しい想像力だが何とかなっていた。こうしてはいられないと一枚五銭のワラ半紙に五円の鉛筆で絵を描きだしたものだ。
母親からは一日に十円の小遣いを貰っていた。それで紙を買ったり鉛筆を買ったりして、余裕があれば飴の変わり玉を買ったりして舐めながら絵を描いていた。傍らには月遅れの漫画雑誌があった。
絵は、さいとうたかを先生のジェームズ・ボンドに近づけてみた。
運よく七十歳を越える事が出来た。生きていれば色々とあって苦労も多いのだが、良しとしている。病院にもかかっていないし薬のお世話にもなってはいない。この先どうなるのか不安でもあるし楽しみでもある。
この頃は興味が中学生時代果ては小学性時代に逆行している。最近の流行りのものに便乗したいのだが頭に蓄積出来ないし燃えない。古い物を身にまとって未来を越えようとしている。この先に何が待っているのだろうか。
絵は試行錯誤の途中のもので没なのだが掲載した。さいとうたかを先生のボンドとショーン・コネリーのイメージとを合体させようとしていて、それに今は燃えている。そして次の映画の劇画化は「007危機一発」だなとほくそ笑んでいる。