古希をむかえた。亡くなった父よりも長生きした事になる。
そう思うと父は無念であったろうと思う。もとは坂道でころんで入院して、病室で突然に肺炎になり一晩で亡くなった。
父は看板職人を全うして亡くなった。子供の頃から父の仕事をみて育ってきた。
父は専門ではないが、若い頃は映画の看板も描いていた。後年は映画専門の看板屋に連れ立って手伝いに行っ事もある。
映画の看板描きはとにかく早い。一メートル角の俳優の顔の色付けを三十分で描いてしまう。予算も無い、時間も無い。遠くから見るから筆のタッチも荒い。それが、また良い味となっている。
拙作は残念ながら三日ほどかかっている。おまけに水性の泥絵具で描いてはいない。デジタルのフォトショップで大きさもA4である。液晶のディスプレイのペンタブレットでチマチマ描いている。
プロの看板書きは、幻灯機で写真を投影したり、碁盤の目を拡大してデッサン下絵を起こすが、拙作は写真を横に置いて素でデッサンをおこしている。
鉛筆デッサンの段階からPCで描いている。これがまた不慣れで難儀をしている。しかし便利なこと受けあいである。鉛筆の芯は研がなくてもよいし、絵具は勿論のこと水も要らない。筆も使わないから事後の筆洗いもしなくて良い。
亡くなった父に、どうだ便利な機械だろうと見せてやりたかった。
そう思うと父は無念であったろうと思う。もとは坂道でころんで入院して、病室で突然に肺炎になり一晩で亡くなった。
父は看板職人を全うして亡くなった。子供の頃から父の仕事をみて育ってきた。
父は専門ではないが、若い頃は映画の看板も描いていた。後年は映画専門の看板屋に連れ立って手伝いに行っ事もある。
映画の看板描きはとにかく早い。一メートル角の俳優の顔の色付けを三十分で描いてしまう。予算も無い、時間も無い。遠くから見るから筆のタッチも荒い。それが、また良い味となっている。
拙作は残念ながら三日ほどかかっている。おまけに水性の泥絵具で描いてはいない。デジタルのフォトショップで大きさもA4である。液晶のディスプレイのペンタブレットでチマチマ描いている。
プロの看板書きは、幻灯機で写真を投影したり、碁盤の目を拡大してデッサン下絵を起こすが、拙作は写真を横に置いて素でデッサンをおこしている。
鉛筆デッサンの段階からPCで描いている。これがまた不慣れで難儀をしている。しかし便利なこと受けあいである。鉛筆の芯は研がなくてもよいし、絵具は勿論のこと水も要らない。筆も使わないから事後の筆洗いもしなくて良い。
亡くなった父に、どうだ便利な機械だろうと見せてやりたかった。