加藤剛さんつながりで、もう一下り。
我が家にテレビが来たのは他の家と比較して遅い方だ。
来たのはという言い回しは今の人には理解できないかもしれない。
テレビに足があり歩いて我が家に来るはずもないのだが、当時の風潮としては皆一様にそういう言い方をしていた。
テレビ様様の時代である。話をもどすと我が家にテレビがついたのは前の東京五輪の年(昭和三十九年)である。
これで他人様の家に御厄介にならずにテレビが見れると思ったら、しばらくは親父の会社の人が家のテレビを見に来ていた。
今度は御邪魔される立場になり初めて御邪魔される先様の気持が分かった。
随分と御迷惑をおかけしていた訳だ。考えてみれば御飯時などにも御邪魔していたわけで、自分だけではなく御近所の人達も茶の間に入りきらずに玄関先にまであふれていた。
昭和三十八年より「三匹の侍」は放映されていたこともあり、当然夢中になり毎週楽しみにしていたわけだが、そののち映画化されていたことは後になって知った。
テレビでは加藤剛の役どころを映画では丹波哲郎が演じている。
また同時に当時流行っていたマカロニ・ウェスタンにも夢中になっていた。
今更ではあるが三匹もマカロニも黒澤明の用心棒のテイストが満ち溢れている。
それから派生して沢山の西部劇、時代劇が作られていた。
当然、テレビの映画劇場にも夢中になり、同級生は高校受験で戦々恐々としているのに、ひとり補習も受けず早々と家に帰りテレビ映画にのめりこんでいった。
この当時のテレビは今以上に邦画洋画を問わず沢山放映されていた。
これからは、テレビで映画をタダで観れると狂喜したものだ。
そういうわけで、中学時代の貴重な三年間はあっという間に過ぎていった。
絵は四匹の侍の下絵である。資料写真などを参考にしているが、実際描く時は見ないで描いている。
下段の丹波さんにいたっては、まったく写真なども見ずに記憶で描いている。
似る似ないはあまり意識していない。
むしろまったく別物が生まれないか期待して描いている。
何か新しいものを発明したい。そういう願いで日々ペンを振っている。
化学者が試験管にいろいろな物を混ぜ合わせて振るように、心はいつも沸騰している。
結果が平凡でも気持ちが冷えることはない。
また明日、何かを混ぜ合わせよう。