ヒット曲「こんにちは赤ちゃん」でお馴染みの、歌手の梓みちよさんが、お亡くなりになられた。
歌は1963年のリリースとある。翌年が東京五輪。
この頃は時代の節目だったような気がする。
手前は小学生の高学年だったろうか。家にテレビもなく記憶が漠然としている。
町内の道路は、まだ完全には舗装ではなく、道路端の向こうと、こっちとで悪童達と草野球をやったものだ、冬ともなればスキーを履いて町内をこれまたグルグルとまわった。車もすくなっかたのだ。
「こんにちは赤ちゃん」この少子化に貴重な言葉だ。
まさか、こうまで出生率が低くなるとは、あの頃は誰しも考えなかったろう。当時は町内に子供がウジャウジャいてやかましかった位だ。
嫁いだ娘に孫が二人いる。生まれた時に、この歌を歌ってあげればよかった。忘れてしまっていたのかさっぱりフレーズが出てこなかった。
三人の子供も授かったが、振り返ると、この歌から五十余年。無我夢中で生きてきた。歌など忘れてしまっている。こんど孫でもでき様ものなら、大きな声で歌ってあげよう。
その前に二人の息子の結婚が先だ。

絵は当時の頃と思われる写真を模した。
映画の中の女優さんも街中のお嬢さんも、こういうAラインで颯爽と歩いていたのだ。そういえば子供の頃、お袋もこんなスカートを身に着けていたな。落下傘スカートとかも言っていた。当時の流行だが今見ても素敵だ。
歌は1963年のリリースとある。翌年が東京五輪。
この頃は時代の節目だったような気がする。
手前は小学生の高学年だったろうか。家にテレビもなく記憶が漠然としている。
町内の道路は、まだ完全には舗装ではなく、道路端の向こうと、こっちとで悪童達と草野球をやったものだ、冬ともなればスキーを履いて町内をこれまたグルグルとまわった。車もすくなっかたのだ。
「こんにちは赤ちゃん」この少子化に貴重な言葉だ。
まさか、こうまで出生率が低くなるとは、あの頃は誰しも考えなかったろう。当時は町内に子供がウジャウジャいてやかましかった位だ。
嫁いだ娘に孫が二人いる。生まれた時に、この歌を歌ってあげればよかった。忘れてしまっていたのかさっぱりフレーズが出てこなかった。
三人の子供も授かったが、振り返ると、この歌から五十余年。無我夢中で生きてきた。歌など忘れてしまっている。こんど孫でもでき様ものなら、大きな声で歌ってあげよう。
その前に二人の息子の結婚が先だ。

絵は当時の頃と思われる写真を模した。
映画の中の女優さんも街中のお嬢さんも、こういうAラインで颯爽と歩いていたのだ。そういえば子供の頃、お袋もこんなスカートを身に着けていたな。落下傘スカートとかも言っていた。当時の流行だが今見ても素敵だ。