昨年の台風の時、一度だけ雨漏りをしたビルがある。
それ以降は雨漏りはしていない。天井を張っていな
いので、雨漏りをすればすぐにわかる鉄筋コンクリー
ト造の建物だ。
原因はなんとなくわかるが100%保証できない。
見えないところが原因だと思うので予想でしかない。
しかし、経験上、それしか考えられない。
という報告書を書くことになった。図面入りで書こ
うと思っているが、果たしてどれだけ納得してもら
えるのか。相手もそれなりに建物をわかっている人
だと伝えやすいが、全くの素人さと伝家の宝刀、「
素人だからわからない。」と言われる。
だったらプロの意見に耳を傾けて欲しいのであるが、
そこは利害関係が発生するので素直に認めてもらえ
ない。プロ同士だとすんなりいく話が素人と主張さ
れるとこじれる話は多いのではある。
ようは信用問題だと思うが、素人と言い張るなら、
プロの意見を受け入れて欲しいものである。
とりあえず、考えつくことをしっかり書くのだ。
それが依頼者に対する礼儀だと思う。
今日、定期調査報告書の最終訂正にいってきたが、
なんとコンクリートブロック塀の規定は昭和46年
から法律で定められており、しかも今よりも厳し
かったようなのである。
控壁と言われる塀に直行した40cm(コンクリー
トブロック1つ分)の壁は今は3.4mごとに設けな
ければならないが、当時は3.2mだったらしい。
にも拘わらず、世の中では控壁のないコンクリート
ブロック塀がたくさん作られた。
昨年、事件が起きたのでコンクリートブロック塀は
かなり重要視されているが、そんな昔から法律で定
められていたのだ。
恥ずかしながらそんなに昔から法律で定められてい
るとは知らなかった。コンクリートブロック塀をつ
くった後で法律ができたと思っていたので既存不適
格としていたが、全て訂正させられた。
何回となく、事故が起きて問題視されていたコンク
リートブロック塀はきっちり法律で作り方を定めら
れていたが、カンタンで安くできることから多用さ
れ、軽く見られていて法律が守られていなかった。
厳密にいうと基礎部分などはしっかり作られていな
い塀も多いと思う、
コンクリートブロック塀以外にも、そんなモノはあ
りそうな気がする。。。
もう24年も経つ。阪神淡路大震災が起きてから。
朝、なぜか眠れずにTVをつけたら各地でやっ
ている追悼式が映されていた。そして5時46分に
黙祷した。
木造住宅の構造は阪神淡路大震災から劇的に変化
したと思うが、住み続けるためのメンテナンスの
こと等はまだ解決できていないと思う。
新築の時は大丈夫。だけど30~40年経ったらどう
なっているのだろう。そもそも日本の住宅の寿命
が30年持たずに壊されているという現実がある。
ある意味、モノである住宅は朽ちていく。それは
仕方のないことだが手を入れてメンテナンスをし
てあげると寿命は延びる。それは家に対する愛情
や思いがあるか無いかによっても変わってくる。
最近の住宅を見ていると、そこまで住宅に愛着が
ある方は少ないと思う。
カタログをみて選んでそれを組み合わせる。そん
な住宅に愛着が湧くのであろうか。人間の性格が
一人一人違うように住まいも違って当たり前だと
思うが、どうも世間は違うようだ。いかに安くつ
くるか、それが重要視される。
どこかでそのツケが回ってくるような気がしてな
らない。ツケが回ってこない様に1.17を忘れては
いけない。一瞬にして甚大な被害があった1.17を
過去のこととして風化させてはならない。
偶然見つけたレンゾ・ピアノ氏のミニ講演。
ケンチクの楽しさと大切さをズバリとスト
レートに話されている。
https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20190104-00020259-ted
メモ代わりに添付しておく。世の中スゴイ
人がいるもんだ。
今年最後の久々の「ケンチクテキ視点」なのである。
8月11日依頼であるから本当に久々なのである。
https://blog.goo.ne.jp/gen1724/e/ad1bc89dd348a88bf6a00219edee2fc2
話は続きではなく今回は番外編である。
思い起こせば20歳から設計事務所で働き出して、
早32年。どうにもこうにも年を取ったのである。
30代の中盤くらいまでは、新建築や住宅特集、
(建築の月刊誌)をみて展示会やセミナー等、
いろんなところに行っていた。月刊誌に載ってい
る建物などは近くにあると必ずと言っていいほど
観に行った。仕事中、抜けて建物を観に行ったりも
していた。(笑)
この時代は見るもの全てが新鮮であり、空気が違う
ような気がして貪るように実際の建物を観に行った。
東京や海外に建物を観に行ったのもこの時期である。
建築家の話もよく聴きに行った。その思想に心を躍
らされた。感動と感心の話であった。
それが刺激になってより一層、行動するという感じ
でドンドン建築にのめり込んでいった。それがどう
したことか、今は全くと言っていいほど観に行かな
い。興味が無くなったというよりも自分の可能性が
少なくなったからかも知れない。
ただ、建築というのは本当に楽しく、面白い。
そういう気持ちは忘れていない。これから建築を学
ぶ人には建築の面白さをわかって欲しい。人の創造
力というのは素晴らしい。こんなことが出来るのか、
ということも形になる。そして空気をも変えられる。
名建築と呼ばれるものは空間に入ったときに空気が
変わるのである。これは体験した人はわかるのであ
るが、ザラッとした空気感になり、建物が小さく観
える。
写真マジックにも気をつけないといけない。写真で
は迫力があっても実際にはそんなことがない建物も
多い。やはり観に行かないとわからないのである。
建物を体験した分だけ設計に活かせると思うが、そ
れをどう反映するかは本人の才能のような気がする。
そして「あきらめない」「やりきる」という気持ち
が設計には大切だと思う。