Genの思いつ記(Gen建築設計所)

人はいろいろであります。いろいろな日常を思いつくままに記録していく建築設計事務所のブログです。

PHP

2010年05月06日 | うんちく・小ネタ

心優しい工務店が、毎月「PHP」を無料で事務所に送ってくれます。これが、電車の中などで読むには ちょうどいいサイズで内容も心休まる記事多いのであります。今回の特集は「気持ちの切り替え方ーマイナスをプラスに変えるー」というものでフムフムと読ませてもらってます。ちょいと内容のご紹介~

 

~~~細胞一個が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続して百万回当たるようなものだという。それが人間には六十兆個もあるのである。~~~

おお~すごいではないか。生きているだけで奇跡という感じです。数字が大きすぎて想像ができないということもありますが、不思議なことでも回りに同じようなこと(人)があるので、その奇跡に気づかないですね~。 さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」という考え方は当たっていたのですね。ボクもそれなりに 生きているうちに いろいろと経験させてもらいましたが、悩んでも仕方がないというか、特に相手がある場合はこちらでは どうしようもないことも多いので「なるようにしかならない」という、変な割り切りで あまり悩まないように生きてきた気がします。まあ、人から言うと「ええかげん~」といわれるときもありますが・・・。自分が出来ることって 知れてますからねぇ~(笑)

 

他にもちょいとだけ~~~ものぐさ落ち込み対処法(野中ともそ:作家、イラストレーター)※時が過ぎるのをじっと待つ ※自分を甘やかす~~~

自分を甘やかす・・・得意です(笑)。甘やかしすぎてダラダラになることもシバシバですが・・・。なかなか面白い視点から落ち込み防止対策を展開されています。まあ、そんな落ち込みが出来ないというのもどうかと最近は思うこともタビタビなので もう少し・・・。疲れるから無理か(笑)

 

このドサクサにまぎれて 遅くなりましたが、チョイ ウレシカッタコト PR~。むすめ(小学6年生)が、5年生最後の通信簿が「オール3」 ???と思いようく聞いてみると1~3段階の評価での「オール3」。実に大雑把ではあるが、取り合えず全部最高評価ということではないか~。誰に似たのかわからないが、がんばったね~。改めて、褒めちぎります(笑)。ムスコ(小学4年生)も困難な状況になってもモクモクとがんばる姿が、学校の先生に評価されていて今後が楽しみです。

みんな がんばっているので、父親であるボクもがんばらねばと思いつつ、がんばり過ぎないように、人生面白く生きていこうと思う 今日この頃でありまする。


今日のコトバ

2010年04月12日 | うんちく・小ネタ

今日のコトバ   「日日是新」(ひびこれあらた)

 

昨日は昨日、今日は今日。昨日の苦労を今日まで持ち越さない。

毎日が新しく、日日門出である。日日是新なら、即ち日日是好日。

毎日を新鮮に感じることである。

 

日々は変化が無いように思えるが、いろんなことがある。

なんで?と言うぐらいに。。。

それでも日々に区切りをもって、切り替える気持ちがあれば

毎日が新しく思え、新たな気持ちで一日をスタートできるのでは

ないでしょうか。

 

今を生きる。今日を生きることに楽しめれば人生の結果として

楽しい人生を送れるのではないか。

そんな気がする。楽しく、しかも面白く!

昨日、タイヘンであっても今日は別の日。

何か面白いことが 起こるかもしれない。

 

毎日が新しい日。この気持ちを忘れずに、素直に謙虚で

明るく元気に~やっぱり健康に・・・過ごしたい。

健康に過ごすにはストイックに生きなければならない。。。


住まい体験 その5

2010年03月20日 | うんちく・小ネタ

以前にもココに書いているのであるが、住宅というのは

ワンルームに近いほど一緒に住んでいる家族の親密度は

増すと考えている。ボクが育った住宅が狭かったということと

兄弟が4人いて個室など無く育ったということが影響していると

思うのであるが、どうもそういう考えに落ち着く。

そして、そうなってくると廊下というものが どうもモッタイナイ

という気がしている。ボクが設計した住宅は廊下がないと

いうことではないが、廊下ができるときは極力 付加価値を

つけるようにしている。

 

廊下を広くしてホールのようにし、そこに本棚をつくって

ファミリールームのような機能を持たしたり、廊下の幅を広めて

収納をつくったりしている。もういっそのこと、廊下なんか

無くしてしまいましょうというぐらいの気持ちで部屋ぐらい広くして

様々な使い方を提案したりしている。

 

まあ、どうしてもスペース的に無理な場合は他の方法を考えて

廊下にも意味のある空間をつくろうと試みます。。。

 

ワンルーム推進設計者としては、「コシツ」というのも 必要である

といわれるからつくっているようなもので、「コシツ」は全く「孤室」に

するのではなく、引き戸などで仕切っている場合が多い。

引き戸というのはなかなかのスグレモノで開けっ放しに

できるという、即ち「コシツ」を確保しながら「通風」を確保できる

のである。「痛風」ではなく、「通風」である。(笑)

 

通風は夏に涼しさを感じるためにとるなどと教科書には書いて

あるが、実はそれだけでなく風が通り風を感じると人間というのは

「気持ちいい」と思うのである。寒い冬でも時には住宅の中に

風を通してやるだけで「気持ちいい」のである。

どうもワンルームの話から通風の話に流れてしまったが、

話を戻すとワンルームに近づけようとするときには

引き戸は有効なのである。

 

そうしてその有効性を最もわかっていたのは日本人なのである。

その代表が襖で仕切るという住宅の構成。襖は必要ないと

感じたら外してしまったらいいのである。

そうすると、あっという間に大きな空間=ワンルームが

出来上がるのである。これは住宅を日常性から脱却させて

なんとなくハレの場になり、嬉しくなってしまうのである。(笑)

 

ワンルームに近づける方法は他にもある。

しかし~長くなったので また、いつか気が向いたときに。。。


時間の感じ方

2010年03月05日 | うんちく・小ネタ

幼い頃は時間が長く感じられた。

ところが年を重なると時間が短く感じるようになるのは、

どうも多くの人が感じているらしい。

 

これは聞いた話であるが、時間の感じ方には

「経験」ということが影響しているようである。

例えば、どこか知らない土地に行くときに往路は長く感じるが、

復路は短く感じる。(同じ道を通った場合)

これは、目的地に行くときに往路で経験しているため、

復路では短く感じるということだ。

ということは、初めての「経験」は長く感じるということである。

 

これを日常に当てはめると経験していること、すなわち

日常的に行っている仕事や様々なライフスタイルは

「経験」していることであり、時間が短く感じる。

そうなのだ、幼少の頃は、経験が少ないため、日々

新しい経験をつむことになり、時間が長く感じるのである。

 

どうも人間というのは、「経験」というか「学習」すると

全体の目処がたち、知らぬ間に自分で計算が

できるようになるのではないだろうか~。

ただ、初めての経験でも「集中」していたり「面白い」と

思ったことに関しては別なようだ。

この場合も、時間は短く感じられる。

 

ということは、むむっ、別に時間が短く感じるのも

悪くないということなのである。。。

ようは、どのように過ごしたかという自分の価値観により、

充実した時間とか、無駄な時間を過ごしてしまったという

気持ちになるのではないだろうか。

 

おお~、何がなんだかわからなくなってきたぞ(汗)

どちらにせよ、時間というのは皆平等に与えられている

わけだから、どう過ごすかというのは自分で決めれば

いいということだ。

む~、今までの話が無駄になってきたような気がする(汗)

 

いやいや、結局は人それぞれということで・・・

結論はで出ない・・・。

ただ、今まで生きてきたけど短かったなぁ~と感じるのは

人間に必要不可欠な「忘却」という能力のお蔭かと。

これだけは自信をもって言える。

「忘却」があるから、人は生きていける。

特にボクはこの能力が高いようなのである。。。


節分

2010年02月03日 | うんちく・小ネタ

今日は節分、巻き寿司を恵方に向かって無言で食べるという

傍からみると、とてもヘンな風習がいつの間にか

世の中の常識みたいになっている。

小さい頃は知らなかっただけか?

とにかく、大阪商人は広報活動にがんばったのである。

 

そういいながらも、巻き寿司は好きなのでついつい

丸かぶりをやってしまう。もちろん無言で・・・。

いいことがあるのを期待して・・・。

 

今年の恵方は西南西。いつも微妙な方角なのである。

そんなの正確には無理じゃろ~と思うのであるが、気は心。

心がけ次第なのである。そう、何でも心がけは大切なのである。

 

節分というのは、字のごとく季節を分けるという意味で

本来は立春、立夏、立秋、立冬の前日のことを

指していたらしいのだが、

江戸時代くらいから、立春の前の日をさす場合が多くなったようだ。

 

ということで暦のうえでは、明日は「立春」。。。

春の始まりなのである。

立春は旧暦などによると1年の始まりなのである。

だから厄年などは節分までなどという。

 

そうなのだ。昔の人は立春から1年が始まった。

ということかどうか、

元旦から今日までどうも調子がよくなかったと思う人は

明日の立春から新しい年が始まるのだと、

心を切り替えられるのだ。

豆まきをして福を呼び込んで、

心機一転がんばれるのである。

  

なんだか自分に言い聞かせているみたいだが、

春に向かって、ガンバルのである。(笑)

24節気が、よく知られているが、

節気とは生きていくうえで節目になるのだ。

季節を感じることは大切なのである。。。