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【拳骨日記】カイロプラクティック・コンディショニング・ルーム・Kの日々の臨床現場を通して医療のあり方を診療日記にしました

No 10656身体との会話32

2010-07-15 | AMCT治療
アートかサイエンスか、あるいは哲学か? カイロプラクティックを議論するときに必ずでてくるものである。いずれも重要な課題です。この三つが融合し自然治癒力をもたらします。

この自然治癒力もサイエンスで語るのは難しい。カイロプラクティックそのもの難解なものである。これゆえに西洋医学と同じ土俵にあがってがっぷり四つに組むのは難しい。西洋医学もアートや哲学はありサイエンスだけでは解決できない。

ある世界的にも有名な日本の心臓外科の例をあげると、他のドクターでは解決できない手術を意図も簡単に行ってしまう。簡単に行うことの裏には傍からみるようなものではないのだろうが・・・1ミリ、2ミリ、0.0・・グラムの力加減で生死を分けることになるだろう。

この心臓外科がこれほどまでに名医と言わしめるものは何か? もちろんマジック的なオペ技術である。その技術の裏には道具を扱う技術が飛びぬけている。道具を使いこなす技術がずば抜けてい優れていることがある。

また、道具を自分の手になじむようにメスや挟みなど特注である。あるいは加工して自分の手になじむように作り変える。手術中には予期せぬ出来事が起こる。この予期せぬ出来事に臨機応変対処できるかが名医たるゆえんである。

マニュアルどおりのことしかできないのであれば普通の人である。知識(サイエンス)だけでは予期せぬことに対応できない。哲学やアオートがあり、更にそれらをもとに刻々と変化する生命の営みを感じ、今なにをしなければならないかを理屈でなく感性で対処していく。

カイロプラクティックや手技療法かは、ややおもすると技術(アート)にのめりこんでしまうことがある。自分を客観的にみてみるとよくわかる。患者様をその酔いしれた技術に無理やり当てはめて自己満足に浸る傾向にある。反省する必要がある。

話がずれてしまいそうなのでもとに戻す。道具を使いこなすのはアートの部分であるが、これは傍から見た目のことである。使いこなす、身体の一部として扱う。これらは熟練者ほど手になじんでいる。傍から見ると道具を使っているようには見えない。傍人からは道具を道具として目に入らない。

ここまでになるのには、アートの裏づけに知識や哲学があり、更に臨機応変な対応ができる感性が培われている。一朝一夕ではできない。技術を学ぶものはそれなりの覚悟がいる。カイロプラクティックのテクニックも同じである。

サイエンスや哲学の重要性が必要性とともにアートの部分で大切なのが感性である。この感性は体感的なものや思考的な部分である。机上で学ぶものではない。学べない。理屈ではない。この感性、感じるものは何か? 

これを科学的に解明してみようといった研究が行われた。道具を使って行うことが身体のどこで感じているのか、そんな研究である。

拳骨



★ 第4回 AM臨床研究会開催のお知らせ ★

日時 8月22日

開場 日赤 小会議室

募集人数 先着15名

参加資格 AM国際、国内認定者のみ(ベイシック、アドバンスどちらでも可能)

テーマ

「AMを応用したスポーツ障害に対するアプローチ」

(神経筋反射を応用したAMの効果的な使い方) 

機械論的治療から有機論的な治療へ

募集方法、参加費などの詳細内容は近日中にメルマガでご案内いたします