洋子大姉の指令を無事終えホッとしている土曜の午後、TVで怪談話などしていたのでお盆過ぎの怖い(?)話。明治生まれの父(故人)&大正生まれの母(現役)の話。
母編
その1 いねん火 だいぶ前にも書きましたが、戦前の名護市辺野古の先の三原で育った母、子供時代に村から見える沖合の無人島(米軍基地滑走路を造るか否かの島)毎晩いねん火が灯り不思議な光景に恐れと困惑もあるが、日常の慣れ、当たり前のように眺める。
村人恐れて誰一人島に近づかないが母の父だけは違った。毎年同じ季節に日没に一人島に向かい、毎回、翌日の早朝に村に帰って来る。小舟一杯の魚海老など決まって収穫し子供たちは恩恵を受ける。島での出来事を一切語ることがなかった父、最後まで秘密のまま。しばらくは幸せな日々が過ぎるがやがて戦が始まり、疎開の為泣く泣く村を離れ、苦労の果てにつらかった戦争がやっと終わり、戦後村に戻ったのだけどいねん火は二度と灯ることは無かった。
その2 ユタおばあさん 「あの家から近々棺が出るね」「今、屋根からマブイが出て行ったさ~」と当たり前のように予言し、母はおばあさんが身内の不幸を予言するのではないかと恐れる。ユタおばあさん忌み嫌われる存在ではあったが、村の一員として一生を終える。(今の社会ではどうでしょうか?排除されてしまうのではないか)
その3 肉布団 夜山道を歩いた時、それを踏んだ。足元の感覚地面とは打って変わってまるでぶよぶよの肉の塊を踏みつけたよう。真っ黒な生き物。毛皮のようなザラザラの表面と踏んだ足首まで埋まってしまう感覚の肉布団。暖かったので生き物であるのは間違いないが、顔手足など無く、楕円形の布団のような形が足元でごろごろと転がり藪の中へ。母は今でもあれは何だったのかと納得がいかない。
その4 魚雷艇 戦後村の海岸に日本軍の特攻魚雷艇の残骸。子供たちの格好の遊び場となっていたのだけど、ある日なんの前触れもなく爆発し、船上で遊んでいた遠縁の子供吹き飛ばされ、体はバラバラとなり葬式の時棺に入れたのは一握りの肉塊のみ。
父編
具志頭村村で一番の豪傑「わしはお化けなど怖くない」と怪談話を一蹴する。反発した父と友人悪巧み。ある夜、橋(吊り橋みたいに隙間有)のたもとの木に隠れるように一人(父」)、橋の中央に懸垂するように一人(友人)。待ち伏せすれば、豪傑さん一杯ひっかけてきたのか気分よく歌いながら橋へ(帰り道ここしかなく間違えなく通る)見れば棒切れなど持っていて(やはりこいつも怖いんだろう)とほくそえんだ父、作戦決行。作戦とはこうである。橋の中央手前まで豪傑が来れば父が後ろから「お~い」と声をかけ、振り向いた隙に橋中央の懸垂男ぐぐっとせせり上がり入道の如くスタンバイ。「前後からの両面恐怖に晒したれ~作戦」
いきなり誰もいないはずの後ろから「お~ぃ」と声がし、驚いて振り返るも誰もいない。恐ろしくてこの場から逃げようと橋を渡ろうとすれば前には入道が上半身だけの恐ろしい姿で待ち構える。
「うわ~」と叫び狼狽える豪傑さん。笑い転げる父と友人「こ奴びびっとる~」「やっぱり怖いんじゃないか」「わはは~」としてやったりだったけど笑えたのは10秒だけ。
二人が考えていた以上にパニクッた豪傑さん、奇声を発しながら持っていた棒切れで友人を滅多打ち。
「待て~ワンど~」と制止するも聞く耳持たず打ちまくり、哀れ友人川へ転落、豪傑後ろも見ず走り去る。慌てた父、川に転落した友人の元へ。見れば仰向けで川に浮いたまま流されていった。確実に気絶しているようなので死んだと思った父は合掌し帰宅。無責任である。
すんでのところで息を吹き返し、覚醒した友人が自力で港川のほとりにたどり着いたころ夜が明けた。のどかな時代の懐かしい思い出。
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