爺の思い出話に少しお付き合いくだされば幸せです。
小学6年生の夏休み、ボーイスカウト(復帰前だったのでアメリカ所属)の夏キャンプに参加しました。キャンプ場は、今、話題の辺野古周辺ホワイトビーチだったと記憶していますが、米軍野営テントで寝泊まりし、食事も彼ら(米兵)と同じ物を食べ、一部「同じ訓練」を受けると言う現代では考えられないメニューでした。「同じ訓練」の一環で射撃があり、ライフル(22口径)を打ちまくる(と言っても教官の合図)コースで、匍匐姿勢からの発泡は「ライフルのあまりの重さに地面に向けて打つのが精いっぱい」で周りの米兵の皆様「子供にゃあ、無理ね」と苦笑い。こちらも照れ笑い。
中学生の時、兄が違法に改造したモデルガンを打ったり、高校生の頃、今の琉球大学敷地方面はまだ跡地利用前の広大な原っぱで、人が居ない事を幸いに散弾銃、空に向けて打ったり、空き缶に打ったりとやりたい放題。時々空から他人の打った散弾銃の弾がパラパラ降ってきて思わず伏せたりしてね。
大人になり、一人ロスへ。イエローページの「ジャックの射撃教室・日本語できます」の嘘に騙されて「日本語一言も喋れないジャック&息子のジミー」とロス郊外の射撃場へ。22口径=女子供でも、38口径=人殺し向き、44口径=デカすぎて実用には不向き。機関銃=弾がいうことを聞かんでばらける。発射残渣と右手親指付け根の擦り傷(一度の発砲で皮剥けたBYマグナム)をお土産に帰国。
結論 銃は楽しい、当たるとウレシイ、次は動いている的ね、できれば動物、最終的には人間、それは他人か、もしかして自分自身かもしれない、とエスカレートするのが予想されたので(私の場合)あれ以来、銃とはおさらばして、ちょっとHな淫獣になろうと決意して今日に至ります。
よんでくれてありがとうございます。