LOVE&DESIRE

沖縄で頑張る爺バンドのブログだったがいつの間にか爺の独り言(涙)。

ハチ公の受難(一番不味いのは・・・)

2017-09-19 13:16:51 | 日記

朝飯をちゃんと食わなかったハチ公は12時少し前に行きつけでお気に入りのソバ屋に駆け込む。とても空腹なので、早い、安い、美味いの3拍子揃ったソバが一番さと一人ごちながら着席。まだ12時前なので店内には既に食べ終わったばかりの観光客らしき3名、これまた観光客と思われる若い女子3名組が「ソーキの大三つにおいなりさん3個下さい」とか注文するので内心(大なんて食いきれるかしら?)と思い薄笑い。そして、こっちはソーキの小、細麺でヨロシクと注文して愛するソバの到着を待つ。

そしたら12時になり、お隣の工事現場方面、事務所方面からのお客、2名様、4名様、3名様、一名様などどんどん来店してたちまち満席。まあ、こちらは2番目のお客だからスグに食えるねと余裕をかます。ところが2名しかいない従業員(男、厨房・おばさんホール)パニクッタか、配膳の順番が出鱈目で後から来た3名が先に食い、おまけに2番目であるはずのハチ公の前をスルーして他所のテーブルに運ばれていくソバを最初は悲しい目で、終いには怒りの目で見る受難。もし10才若かったら「違うだろうが~このハゲー」とか言いつつテーブルをひっくり返すかキャンセルして席を立つのは間違いないが、爺なので我慢する。(プチ成長?)

結果、一番最後にソバ・・・あまりの怒りに食欲消え失せ、(それでも意地汚くソーキは食った)ソバの麺は小麦の固まりか味はなく、この10年間で最悪、一番不味いソバであった。お店の対応でどんな美味い物でも不味くなるという単純な真理を思い出しました。

大人なんだから我慢しなさいと言われそうだが食い物の恨みは深く恐ろしいぞ~

それでも写真は撮るが③分の一も食わんかった。ぷんぷん。

よんでくれてありがとうございます

飲食店関係者の皆様、配膳の順番ご注意ください。怒り狂う客がいきなり暴れる事態を招きかねません。

 


歴史は激しく動く(嘘つき爺)

2017-09-19 09:12:56 | 日記

9月11日 同時多発テロ(2001年)21世紀は悲しみの幕開けとなり、そしてチェチェ生まれ(2015年)爺は2名目の孫を授かる。宮古島では最大瞬間風速74,1メートルの台風が直撃し(2003年)、屋根まで飛んで壊れて消えた。地主が現金必要なので、尖閣諸島が国有化される(2012年)。中国は虎視眈々と盗むチャンスを覗うが、奴らは100年単位で物事を考えるからやっかいだ。

9月12日 尚寧王 江戸城で将軍秀忠と対面すると(1610年)学校は週休2日制となった(1992年)。何か打ち合わせでもしたのであろう。

9月13日 作曲家の渡久地政信氏が亡くなる(1998年)と、沖縄君は泣き、与那国島で1日765ミリの豪雨となる(2008年)上海帰りのりルとはもう会えないね。

9月14日 琉球王国、琉球藩となる(1893年)すると島人全員標準語を使い始める。

9月15日 琉球新報が創刊されると(1893年)県民への意識操作が始まり愛国心の無い島へ姿を変えるが、宮城能鳳が人間国宝(2007年)になったので県民は国民として喜ぶがリーマンショック(2008年)で世界金融危機となり、ぬか喜びに。

9月16日 B円がドルに切り替わったので(1958年)ほとんどの人が貧乏人になった。そしたら、バジル・ホールが遊びに来た(1816年)。遊びのついでに「大琉球島探検航海記」を書いたら印税で大儲けしたらしい。

9月17日 移民の父 當山久三が亡くなると(1910年)入れ違いにヤンバルクイナが出てくる(2004年・ヤンバルクイナの日)ナゼ、このタイミングかは不明。

9月18日 満州事変勃発すると(1931年)沖縄ではナゼか島言葉の日(2013年)県が制定。自らの言葉を失った民族は滅びゆくから焦ったか?

少しの真実に嘘を混ぜると人は騙されますね。では写真はどうか?と考えると「倒れゆく兵士」とか「少女と禿鷹」などねつ造であったりするので、とれが本当か判らないし、ネット情報の坩堝で溺れかけている私たちは実は既に狂気の世界に生きているのかもしれません。と言うか正気のふりで問題スルーが生き残る術かも。

よんでくれてありがとうございます  

この写真もねつ造です。わはは。偽物小川さんが居ます。