Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

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”in my life I love Y0U more”

2011-04-26 | 時代の光景U+203CU+FE0E
”人生は泡沫の恋‥

時は川面に浮かぶ月のよう

‥”
愛し合うものはみな‥永遠の愛似恋‥である。


ダンナは嫁に‥妹の面影を重ねながら最愛の恋人を見送り‥

嫁はダンナに‥弟の面影を重ねながら最愛の恋人に手をふって‥

いつか必ずもう一度、きっと会えると約束かわし‥

芸能人だからか‥

志半ばの無念さがそうさせるのか‥

告別式での”スーちゃんの肉声メッセージ”‥
その演出の本意は、彼等二人だけが知る‥二人による、二人のためのイベント企画だったのだろう‥。

ここに”二人の愛”はめでたく成就したのだ。



二十年前の母の臨終の瞬間を重ねながら僕は見ていた。

たぶん違和感や滑稽に思いながら見ていた人もいるだろう‥。

そう‥本音や本気の瞬間は‥滑稽で間抜けにしか見えないからだ。

‥母の臨終間際、ベッドの周りは母の兄弟姉妹や親友達や親戚が取り囲んでいた。

僕は母の手を握りしめ、その手の温もりを一生忘れまいと、ただ必死だった。

あれほど、連日連夜最後の最後まで、母に寄り添い看病してきたた父は、まさにその最後には、他の人達に場を譲り‥自分は後方でただ静かに見守っていた。

”光子さん‥頑張って‥

”光子さん‥ありがとうね‥

そんな悲痛なかけ声と、すすり泣きの中‥

突然父は、大きく誠実な声で‥

‥”光子、お前は十分に頑張った。
もう頑張らんでいいぞ‥”

それが、父から母への最後の愛のメッセージだった。

すると‥母は安心したように、静かに息を置いた。

僕は初めて、父に心底負けたと思った。

僕にはただの母親でも‥父には父だけの最愛最強の自慢の恋人だったことを見せつけられたからだ。

嫉妬にも似た敗北感を覚えている。

同時に、父を男として誇らしく思えた初めての瞬間でもあった。

今思えば、あれは父と母の二人だけの暗黙のイベントだったのかもしれない。

あの日の僕と同じような気持ちで、二人のイベントに心底拍手喝采した人も、きっといただろうな‥。