今日は、全国各地で、様々な思いを彩る1日となるのだろう。
あれから3年。
僕は、あれからまだ、価値観が大きくひっくり返ったままだ。
この世において、あんな光景が存在したこと事態が、どこか、未だにまだ、上手く理解できてはいない気がする。
突然、怪獣や宇宙人が現れて、あらゆるものを破壊し尽くしてしまったような…。
そんなものは、スクリーンの中で起きることと、子供の頃から、それを常識として、生きてきた気がするからだろうか。
…
なのに、今も世界各地の紛争地帯や、戦争は、それを現実と受け入れている自分がいる。
…衣食足りて礼節を知る…
これが国家の基本的な在り方なら…
…ぼろは着てても こころの錦
どんな花より きれいだぜ…
これが、真央ちゃんに涙した、多くの日本人の心意気だ。
人は、強くはないけれど、弱いだけでもない。
そして、いっぽんどっこの唄から~365歩のマーチまで…水前寺清子とは、和製スプリングスティーンであったのだ。
人の暮らしも生き方も、天と地ほどもの開きや違いがある。
だから、平等など、この世には存在はしない。
しかしながら、ある程度生きてみると、人生は、どうやら、プラマイ0だと、日々の生業のなかで、肌で感じるようになる。
ここで、飲み屋風情の存在意義が証明されるのだ。
(^ν^)
とは言え、飲み屋風情が(^^;;、反原発やら、ましてや、世界情勢を、どんなに熱弁しようとも、なんら説得力はないし、
まして誰の、屁の足しにもならない(笑)
だから今日は、、” 忌野清志郎 "に、そして、ウクライナに暮らすナターシャに…
思いをはせよう、と思う。
反原発集会やデモが、今年も、主だった人達により、主だった場所や街で行われたようだ。
今はもう、僕は参加していない。
僕の、その意思や意義が薄れたからではない。
主流はもはや別にあることが、見えてきたからだ。
ましてや、人は、群れることに慣れてしまうと、そこに、佐村河内&新垣が潜んでいることにさえ、全く気づかなくなるものだ。
その危険性を、最近の主だった人々に感じるから、間をおいているのもある。
僕は僕のやり方で、主張し行動することが、飲み屋風情として、真っ当な生き方だと、今はそう、思うようになった。
そして、世界では、ソチの隣にある国、ウクライナに思いをはせる。
ギャグのつもりでこしらえた、我が普及の代表作^^;;、、『 ナターシャ 』は、今やプロテストソングになってしまった^ ^
そして、マスコミは、チェルノブイリがウクライナにあることを、もっと声高にするべきだ。
やれ原発だ、やれ放射能だと叫ぶくせに、チェルノブイリは知っていても、それがウクライナの地名だと、知らない、おじちゃんおばちゃんがたくさんいる。
無関心ではいけないと思う。
広島、福島、チェルノブイリは、もはや、人類史の世界遺産なのだから。
ましてや、東欧パブ好きの殿方は、今こそ、ウクライナ美女に、男気の見せ場である。
ナターシャに、アナタステキヨ…と言わせる絶好のチャンスだ。
まず、国は、ウクライナから、ウクライナ乙女全員に、ワーキングビザを即座に発行し、ウクライナ乙女を優先して、日本各地に住まわせる。
そして、日本各地にウクライナパブを、全国チェーン展開をする。
その稼いだお金で、危険にさらされた、ウクライナの高齢者や子供を、日本にバンバン避難させたらよい。
高齢少子化慢性的嫁不足のおり、農家の長男次男坊、いくらでも日本国籍は手に入るはずだ。
生まれた娘は、みなモデル。
一挙両得である。
どうでしょう、ウクライナ救済、"乙女の里計画"(^ν^)