
どうなんでしょう。
戦争やってる国や、紛争地域や、貧困にあえぐ国では、佐世保での事件みたいなのが起きた時に、どれくらいのニュースとして、扱われるものでしょう。
バラエティ情報番組で、やってました。
我が子を天才にしたいならば、子供が文字を読めるまでは、常に語りかけること、身近で、いつも、物語を朗読してあげること。
文字を読めるようになったら、一緒に読書すること。
親の近くで勉強させること。
すると、イマジネーションが豊かになり、必然的に頭がぐんぐん良くなる。
…のだそうです。
しかしながら、頭の良い子に育てるのと、良い子に育てるのは、全く別だと、社会の出来事を、見ていると、つくづく思います。
昔から、よく言われます。
子をみれば親がわかる。
親を見れば、子がわかる…
と言います。
つまり、それは、人間の器量や、性質のことです。
僕には、子供がいませんが、子育てとは、大事業なのですね。
凄いことです。
文春やら、ネットやらでは、すでに、加害者も被害者も、露出してると聞きます。
僕は、この手のものは、雑誌もネットも、いっさい覗きません。
いつもながら、加害者側も被害者側も、残された身内にしてみれば、みな、被害者だからです。
この瞬間に、人生がひっくり返る、わけですから。
今後、言われのない、偏見やら差別から逃れるために、身元を隠し、ひっそりと、生きて行かねばならないのです。
今後の人生を思うと、本当に気の毒です。
天災、事件、事故、病気、戦争、紛争、宝クジ当選…
人生は、ババ抜きなんだと、つくづく思います。
人は、この世に、産まれ落ちる瞬間から、ババ抜きが始まるわけです。
…
犯人の高校生を、サイコ、と決めつけてよいものか…。
彼女がサイコ化して行くまでの過程となる原因が、必ずあったはずです。
今回の事件には、何やら彼女の常識を感じるからです。
つまり、犯人高校生は、頭の良い子です。
知能の高い子供は、他人を見る客観性にも優れています。
あれこれ、情報を対照すると、彼女の両親が二面性の強い人であったように推測します。
だから、彼女には、そんな両親を客観的に眺めながら、表と裏の顔を使い分けする両親がどう映ったのかです。
そこから、彼女が自分との折り合いが、うまく収集つかなくなっていったのではと、推測します。
その過程のなかで、彼女の場合は、あるキッカケから、サイコ化していったのだと思います。
そのキッカケとは、何なのでしょう。
両親ともしも、話ができるなら、恐らく、すぐにわかることでしょう。
恐らく専門家は、すでに、やってるでしょうが…。
早く時がゆき、全てが、風化されていくことを祈るだけです。