むかしむかし、ある知人の結婚式で聴いてから、ずっと頭を離れない、美しい曲です。
その後も、あちこちで耳にするのに、タイトルがわからず、30年の時を越えて、遂に、この名曲を、捕まえました。
タイトルは、もったいないから、教えません(╹◡╹)
どうしても知りたい人は、GLASSONION寺の住職の説教を聴きにきてください。
…
春眠暁を覚えずが、三月ならば…
寝ても、寝ても、まだ眠い二月を、どう言い訳するのか⁇
あゝ今日が、寝て終わる…どないしましょ‼︎
コチコチの寒さを、木漏れ日で解凍しながら眠りこける。
タップリ睡眠は、身体から心へと、スコーンと突き抜けるスッキリ感が、たまりません。
今年はブッチギリの年なんだ、先を急がねば…!
寝てる場合じゃない‼︎
(_ _).。o○
ウツラウツラと、布団の中で、葛藤してるのでありました。
体内回帰したような、この夢心地の心地よさは、僕のDNAが、縄文時代を覚えているからに、違いない。
一万年以上続いた、縄文時代は、三日働いて七日お休みをする。
そんな、素晴らしい、暮らしだったそうです。
争うことも奪い合う事もなく、山の幸海の幸を、みんなで上手に、分かち合ったようです。
当時は、平均寿命も26~7年だったそうな。
寿命なんて延びるばっかりに、しなくて良い経験まで、してしまうから、ややこしい、おじさんや、おばさんになるのです。
20歳で、おじさんおばさんだった縄文時代は、清らかな大人ばかりだったはずです。
本来顔の皺とは、栄光の軌跡であるはずなのに、まるで、人生の傷跡みたいに見下すから、人は、皺を隠すことばかりを考えるような、嫌らしい性格となってしまうのです。
縄文寿命だと、みんな、良い人のままで、生涯をとげられる。
つまり、どんな人も、幸せな一生、だった気がします。
稲作の始まった弥生時代から、定住を学び、人口が増え、寿命も延びると、なぜか、良心が、野心となって、争いが増えていくのが、何とも、実に不思議です。
僕は、今のこんな世の中だからこそ、縄文時代に、スポットを当てるべきです。
縄文時代を知れば知るほど、本来の日本人が見えてきます。
縄文時代興味ある方、ご賛同ください!
この続きは、GLASSONION寺にて…
(╹◡╹)