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2月はMadonnaですね。
youtubeで、マドンナがLIVEの中で、感謝への想いを込めて、デビットボーイを歌う、そのマドンナの姿は圧巻で、グラグラくる~、でした。
マドンナは、いつも、最高の男前ですね。
いい女って意味です。
今まで観にいったLIVEの、僕のベスト10は、未だに、1位がプリンス、2位がMadonnaです。
今回のスーパーアリーナも、男前な素晴らしいLIVEでしょう。
…
今週、GLASSONION、高田馬場で、22年目を迎えます。
毎年、2月に思うこと。
"思えば遠くへきたもんだ"
です!
そして、毎年2月は、来た道を振り返ります。
この街高田馬場で、当時と今との比較で、何よりも、決定的な大きな違いは、僕が、たくさん年を喰ったこと(^^;;!
そして、外国人が、多国籍になったことです。
そして、日本人として、多国籍な外国人のいる日本社会にすっかり馴染んだ世代が、とうとう二十代にまで、成長してきたことです。
彼等は、多国籍の外国人の暮らす日本社会を、日常として、肌で受け入れています。
その意識の違いが、そのまま、今の三十代以降の日本人との、世代間の、大きな仕切りになっているのは、間違いないことです。
どちらが、良いとか悪いとか、そんなことじゃありません。
社会認識の完全なる変化です。
時代の、移り変わりを、目の当たりにしているのだと思います。
僕は、それに沿って、生きていくと言うことです。
それが、自然なことです。
僕は、長年、学生街で、接客業をやってきたから、それだけは、僕が肌で感じる事実です。
判りやすい、良い例が、いくつかあります。
その一つが、昨年の、学生団体「SEALDs(シールズ)」だと思います。
彼等の社会認識、社会行動の自然体を、三十代以降の日本人の目に、どう映ったかと、言うことです。
自然体と見えた人と、ぎごちなく見えた人とで、彼等への目線が、大きく分かれました。
僕は、昨年の 8月の末の大規模なデモに、時代の目撃者(笑)のつもりで参加しました。
僕は、「SEALDs(シールズ)の、すぐ側で、彼等のパフォーマンスを、じっと見学させてもらいました。
彼等の息遣いも見逃さない近さから、彼等を観察しました。
そこから見えたものは、僕の結論からすると、いわゆる、NO、と言えちゃう日本人の誕生、なんだと思いました。
今までの、グローバル化に憧れる日本人の間では、口癖だった、NOと言える日本人!
それを、彼等が、自然体でやってのけているのです。
そりゃ、大人達は、焦りますよね。
戸惑う大人の多い事が、更に驚きでした。
理由は簡単です。
今の二十代が、ただ単に、コスモポリタン化日本に、生まれ育ったことが理由だと思います。
それが、日本人の進化なのか、後退なのかは、僕には、わかりません。
多国文化とのシェアを覚えた日本人の登場なのです。
多国籍と共存するために、YESとNOを、覚えちゃったんだと思うのです。
間違いなく言えるのが、僕ら世代では、到底、躊躇して、口ごもったことを、自然体で、普通に言えちゃう世代であることです。
もしかしたら、彼等の方が、舶来主義一辺倒だった従来の日本人より、古来の日本文化や伝統を大切にするのかもしれません。
いわゆる、アイデンティティと、言う奴を、無意識に会得した日本人だからです。
従来、島国日本人には、アイデンティティは、実感として必要とはされなかったわけです。
島国だから、愛国心だけで、十分だったのです。
アイデンティティと愛国心は、全く違います。
例えばそれは、アメリカ北部の大都市で暮らすアメリカ人と、大陸内部の、広大な草原や穀倉地域や、山や川沿いで暮らし、アメリカだけで完結する、アメリカ人との違いです。
世界は、ネット化され、戦略化され、経済化された今、共存の時代に入りました。
共存以外、人類が生き残る術はありません。
特にアメリカは、今、その岐路に立っています。
英語だけが、人間の言語だと、固く思い込みしているアメリカ人に、どうやって、海の広さを教えてあげられるのかが、これからの、世界の課題であり責任です。
世界中に、ロックンロールを届けてくれたアメリカへ、これから僕らが、ロックンロールをアメリカに届けるのです。
さーて、そして、あたしゃ、いよいよ、人生、捲りに入ります!
(笑)
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