世界標準技術開発フォローアップ市場展開

ガラパゴス化から飛躍:小電力無線IEEE802規格開発会議・・・への寄与活動拡充

(>_<) 8/21(日)立秋後14日、天気痛症状は1~7時台痛い83%、熱中症は14時~15時危険、暑さ指数≧31

2022-08-20 18:30:17 | 連絡
〇8/7(日)立秋(りっしゅう)~8月23日(火)処暑(しょしょ)は、毎日暑い日が続きますが、お盆明けには秋の気配が少しずつ感じられます。
この日から、季節の挨拶も暑中見舞いから残暑見舞いに替わります。
・頭痛ーるのサイト
〇1~7時台の天気痛症状アンケートは
【少し痛い~痛い~かなり痛い】の回答の方が83%、
【普通】の回答」の方が17%。
〇8/21(日)の東京:前線や湿った空気の影響で午前中を中心に雨が降り、昼頃からは雨が止んでいくでしょう。
山沿いでは夕方以降は再びにわか雨か雷雨になる所もあるでしょう。
気圧は上昇していきますが、日中はやや注意が必要になるでしょう。
最高気温は30℃前後で極端な暑さはなさそうですが、ムシっとしそうです。

・気象病、寒暖差疲労=天気痛=の週間予想のサイト
https://setagayanaika.com/blog/category/weather
〇熱中症は14時~15時危険、暑さ指数≧31
・夏場になりやすい「うつ熱」について2021/06/25真壁病院のサイト
https://blog.goo.ne.jp/globalstandard_ieee/e/76f4a7acd24488329634f9f581b87cce
・熱中症~思い当たることはありませんか?~のサイト
・医療用経口補水液製品は熱中症脱水対策のボトル、ゼリー「オーエスワン®(OS-1)」として汎用商品化=デュアルユース=医療・汎用製品=国内及び海外市場展開・GDP成長寄与=のサイト










島崎藤村🌸初恋/現代訳も収録 #朗読 #詩2020/10/10

2022-08-20 18:14:00 | 連絡


「初恋」 まだあげ初そめし前髪の 
林檎のもとに見えしとき 
前にさしたる花櫛の 
花ある君と思ひけり 
やさしく白き手をのべて 
林檎をわれにあたへしは
 薄紅の秋の実に 
人こひ初めしはじめなり 
わがこゝろなきためいきの 
その髪の毛にかゝるとき 
たのしき恋の盃を
 君が情けに酌みしかな 
林檎畑の樹の下に 
おのづからなる細道は 
誰が踏みそめしかたみぞと 
問たまふこそこひしけれ 
底本:「藤村詩集」新潮文庫、新潮社    1968(昭和43)年2月10日発行
 

島崎藤村の若菜集より「初恋」と現代訳の朗読です。 (ただし現代訳に関しては私の解釈、イメージです) ●テキスト/青空文庫(青空文庫、耕作員の皆様に心より感謝し使用させていただきます) ●音楽②/Kevin MacLeod ●ソース: http://incompetech.com/music/royalty-...

●アーティスト: http://incompetech.com/

●Kevin MacLeod の Merry Go - Silent Film Light は、クリエイティブ・コモンズ - 表示 4.0 ライセンスに基づいて使用が許諾されます。 https://creativecommons.org/licenses/...

●現代訳/こいでともか ●声/動画作成/サムネ作成/こいでともか グットボタン&コメント、良かったらチャンネル登録もお願いします。 小出朋加のナレーション・朗読チャンネルです ※挿入曲は「YouTubeオーディオライブラリー」より選曲し、楽曲を無償提供してくださるアーティストの皆様に心より感謝し使用させていただいております。 



ザ人物伝 島崎藤村 親譲りの憂鬱

2022-08-20 11:20:45 | 連絡
島崎藤村は自作で様々に「親譲りの憂鬱」を深刻に表現した。これは、
  1. 父親と長姉が、狂死した。
  2. すぐ上の友弥という兄が、母親の過ちによって生を受けた不幸の人間だった。
  3. 後に姪の島崎こま子と近親相姦を起こしたが、こま子の父である次兄・広助の計らいによって隠蔽された。
  4. 長兄・秀雄の口から、実は父親も妹と関係があったことを明かされた。
などの事情による。


ザ人物伝 島崎藤村 小諸時代から小説へ

2022-08-20 11:11:57 | 連絡
1899年(明治32年) 小諸義塾の英語教師として長野県北佐久郡小諸町に赴任し、以後6年過ごす(小諸時代)。
北海道函館区(現・函館市)出身の秦冬子と結婚し[8]、翌年には長女・みどりが生れた。
この頃から現実問題に対する関心が高まったため、散文へと創作法を転回する。
小諸を中心とした千曲川一帯を見事に描写した写生文「千曲川のスケッチ」を書き、「情人と別るるがごとく」詩との決別を図った。
『破戒』を執筆し始めたのもこの頃からであり[9]、同作の登場人物である市村代議士は、岩村田町(現在の佐久市岩村田)の立川雲平をモデルにしたとされる[10]。
1905年(明治38年) 小諸義塾を辞し上京。
1906年(明治39年) 「緑陰叢書」第1編として『破戒』を自費出版。
すぐに売り切れ、文壇からは本格的な自然主義小説として絶賛された。
ただ、この頃、栄養失調により3人の娘が相次いで没し、後に『家』で描かれることになる。
1907年(明治40年)『文藝倶楽部』6月に「並木」を発表。孤蝶や秋骨らとモデル問題を起こす。
1908年(明治41年)『春』を発表。
1910年(明治43年)には「家」を『読売新聞』に連載(翌年『中央公論』に続編を連載)、終了後の8月に妻・冬が四女を出産後死去した。
このため次兄・広助の次女・こま子が家事手伝いに来ていたが、
1912年(明治45年/大正元年)半ば頃からこま子と事実上の愛人関係になり、やがて彼女は妊娠する。
1913年(大正2年)5月末、神戸港よりエルネスト・シモン号に乗船し、37日後にフランスマルセイユ着、有島生馬の紹介でパリのポール・ロワイヤル通りに面した下宿で生活を始める。
西洋美術史家の澤木四方吉と親交を深める。
第一の「仏蘭西だより」を『朝日新聞』に連載、「桜の実の熟する時」の執筆を開始。下宿の世話した河上肇などと交流した。
第一次世界大戦の勃発により、1914年(大正3年)7月から11月まで画家の正宗得三郎とともにリモージュに疎開。第二の「仏蘭西だより」を『朝日新聞』に連載。
1916年(大正5年)7月、熱田丸にて英国ロンドンを経て神戸港に到着した。
1917年(大正6年) 慶應義塾大学部文学科講師となる。
1918年(大正7年) 『新生』を発表し、帰国後改めて持ち上がったこま子との関係を清算しようとした。
このため、親類の差配により、こま子は台湾にいる伯父・秀雄(藤村の長兄)の元へ渡った(こま子は後に日本に戻り、1978年6月に東京の病院で85歳で死去)。
なお、この頃の作品には『幼きものに』『ふるさと』『幸福』などの童話もある。
1927年(昭和2年) 「嵐」を発表。
翌年より父正樹をモデルとした歴史小説『夜明け前』の執筆準備を始める。
 1928年11月3日 加藤静子と結婚する
1929年(昭和4年)4月から1935年(昭和10年)10月まで 夜明け前が『中央公論』にて連載された。
この終了を期に著作を整理、編集し、『藤村文庫』にまとめられた。また柳澤健の声掛けを受けて日本ペンクラブの設立にも応じ、初代会長を務めた。
1940年(昭和15年) 帝国芸術院会員。
1941年(昭和16年)1月8日 当時の陸軍大臣・東条英機が示達した『戦陣訓』の文案作成にも参画した。(戦陣訓の項参照)
1942年(昭和17年) 日本文学報国会名誉会員。
1943年(昭和18年) 「東方の門」の連載を始めたが、同年8月22日、脳溢血のため大磯の自宅で死去した。最期の言葉は「涼しい風だね」であった。


ザ人物伝 島崎藤村 主な生い立ち

2022-08-20 11:06:10 | 連絡
1872年3月25日(明治5年2月17日)、筑摩県第八大区五小区馬籠村[2](長野県を経て現在の岐阜県中津川市馬籠)に父・正樹、母・縫の四男として生まれた。
1878年(明治11年)神坂学校に入り、父から『孝経』や『論語』を学ぶ。
1881年(明治14年) 上京。泰明小学校に通い、卒業後は、寄宿していた吉村忠道の伯父・武居用拙に『詩経』などを学んだ。
さらに三田英学校(旧・慶應義塾分校、現・錦城学園高等学校の前身)、共立学校(現・開成高校の前身)など当時の進学予備校で学び、明治学院本科(明治学院大学の前身)入学。
在学中は馬場孤蝶、戸川秋骨、北村季晴、中島久万吉らと交友を結び、また共立学校時代の恩師の影響もありキリスト教の洗礼を受ける。
学生時代は西洋文学を読みふけり、また松尾芭蕉や西行などの日本古典文学も読み漁った。
明治学院本科の第一期卒業生で、校歌も作詞している。
1886年(明治19年) 父・正樹が郷里にて牢死。
正樹は『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルで、藤村に与えた文学的影響は多大だった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%B4%8E%E8%97%A4%E6%9D%91