我が家には連日、大学、専門学校なんかのパンフレットが届く。
そこに共通点があるようで…なくて、ないようで…ある。
一応目は通しているらしいその資料達は、積み重ねられ「塔」と化している。
JK二年目を迎えたそらネェは今まさに進路をどうすべきか迷い中。
私ってどんな仕事が向いてるんだろ。
自分の将来を一生懸命に考えるその姿は、かつての自分と比べものにならない。
ボク自身、それなりに勉強はしていたけど、進路についてはそこまで真剣に考えていなかった。
挙げ句の果てにどうしたら良いか決められず世界一周の旅に出た訳だし(笑)
一方、ずっと真面目で一生懸命なそらネェの生き方、我が子ながら尊敬できる。ボクとは違う、でも結果的には出会いに恵まれた幸せな人生を歩むんだろうな。そんな風に思いながらボクはそらネェを見守っている。さて、そんなそらネェのもとに訃報が届いたのは昨日のこと。
かつてお世話になった恩師との突然のお別れだった。
そらネェは本当に出会いに恵まれていて、これまで出会った担任は素敵な方ばかり。
そんな中でも、人として女性として教師として憧れていた方とのお別れ。
先生と生徒の関係が終わってからも定期的に時を共有してきた二人は、親から見ても微笑ましい関係だった。そらネェと出会って下さり、ありがとうございます。
別れを終え、泣きはらしたそらネェは帰りの車中で口にした。
わたし、先生になる。
H先生みたいな。
本当にこの日をきっかけに教師の道を目指すのかは分からないし、別に決める必要もない。
ボクだって10代の頃に思い描いた仕事はしていないし、沢山の選択と決定を繰り返した結果の今を生きている。
人生を語るにはまだまだ経験が足りないボクだけど何となく分かってきた。
人生を終えた後、少なくない方が寂しがってくれるだけでなく、大切な誰かが想いを受け継いで生きようとしてくれる。
それって一つの幸せの形なんだと思う。
45年生きてきたボクもそれなりに別れを経験してきた。
父親含め、大好きだった方々の想いは自分なりに受け継いで生きているつもり。
そらネェにとってのそんな存在になって下さったH先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。合掌
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