A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

十津川郷6

2006年04月10日 | 旅の破片
十津川温泉から、新宮へ抜ける山々を果無(はてなし)山脈と言うそうだ。

V570

十津川郷4

2006年04月10日 | 旅の破片
天誅組陣屋跡。

天誅組は勅命と偽り、十津川郷民の徴用を強要した。
一時は千二百の郷民が、高取城攻略戦に加わるが、ずさんな戦略により敗退する。
京都御所へ出ていた百数十名の十津川郷郷士が、八・一八の政変に出くわすのは、正式な出仕の翌日のことである。
郷民の方は、天誅組が朝敵となっていることすら知らないで、戦いに加わっていた。
上平主税が、京都から十津川郷へ潜入し、郷民を説得する。
結局、十津川郷民は離脱し、天誅組は村を退去する。

十津川郷1

2006年04月10日 | 旅の破片
十津川郷は紀伊半島中央部にあたる山中の村である。
山を削った僅かばかりの平地に、集落が点々と続いている。
古来より、米は取れないため、免租の地であり、自治を許されていたという希有な村であった。
実情は、租税を取りようがないので、放って置かれたというのに等しいが、十津川は郷士を自任し、保元の乱、太平記、大阪城夏の陣、幕末などに出兵する。
出兵には、古来よりの免租と自治の保証を、時の権力に取り付けるための代償という意味合いがあったが、そのうちに十津川郷民に独特の、朝廷に対する親和の情と矜持が生まれることになる。
郷の決めごとは、庄司が寄り集まって、合議で営まれていた。


十津川温泉あたり。