百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

良寛さまの足跡を訪ねて

2005-10-14 22:19:43 | 老人大学
10月13日

10月13日
 平成17年1月1日より286日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   13,105歩   9,174m
 総計 3,875,068 歩 2,712,548 m

        仮想通過地点   沖縄〔9.23〕

 長野老人大学北信学部1学年の研修旅行「良寛様の足跡を訪ねて」の日。山ノ内・中野・飯山・と回って 学生を集めて道の駅から出発することになっていたが、一人が遅刻で15分ほど遅れる。私は飯山城址駐車場の人員把握の責任者で少々緊張したが集合時刻8分前には全員が集合出来てほっとする。

 快晴に恵まれて快調なドライブ。豊田飯山ICで上信越・北陸道を走り、西山ICで高速を降り、和島村で良寛さまが晩年を過ごされた「木村家」の見学と「良寛様のお墓」参り、わたしはパソコンで写真入の研修旅行編が宿題なので真剣に写真を撮る。

 分水町を経て国上寺に詣で、岡山から帰郷して住まいすることになった「五合庵」を中心に見学、寺泊の「飛鳥」で昼食をとる。朱塗りの揺れる吊橋を渡れなかったので急な石段を往復して老人グループは大いに疲れたが、良寛様の艱難を身をもって体験出来たことは意義あることだったと思う。

 昼食に大量のビールが出て飲みきれなかったことも驚きだった。女性が多くてその分男性にまわった為かもしれない。

 帰途は専ら海産物のショッピングに力が入ったようだが、小生には無縁、リクワイヤー・タイマーなる桃色の水玉ガ水車を回す水時計のような玩具を仕入れたのみ。

 出雲崎で良寛様の生家「橘屋」の屋敷跡良寛堂を見学、記念撮影などして帰途に着く。車中はカラオケ教室でおおいに盛り上がる。飯山着は予定通り5時。全員無事故で中々いい研修旅行となった。

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        思い出の「道中日記」 39日目 栄村(時間調整のため北野往復)

 起床5:15 出発6:25 天候曇りのち雨 就寝8:40
今日の行程
 今日は時間調整の日。道の駅信越さかえで足踏みしていなければならないので北野の天満宮に詣で、学問の湯に入って疲れを取り、ゴールに備えようと決める。50年ほども前に来た記憶をたよりに歩く。天神様についた頃から雨となる。朝食のあと学問の湯に入り、パソコンで日記を書く。

 逆巻~雪坪~志久見~柳在家~切欠~長瀬~笹原~当部~北野~極野            うろ覚えの昔の道とは大違いで、道幅は広く、勾配はゆるく、カーブには十分なゆとりがとってあり、雪坪への上り坂は登りきるまで雪覆工で雪崩避けが完成していた。道路は完全舗装で北野に入る橋は上り勾配で一直線に架かっていた。昔北野へ来たときは坂を下って壊れかけた小さな木の橋をおっかなびっくりして渡った覚えがある。陸の孤島などと言うところではない。

北野天満宮
 雨にぬれた杉木立の中に天満宮は鎮座していた。1千年も前に勧請されたという記録が残っているだけあって何とも奥ゆかしい。本殿に記帳簿があったので住所氏名に「世界一周の達成を前にして」と付記して来た。アイネットの知ってる人の記帳も見えた。



学問の湯
 天満宮への道から見た学問の湯は広大な面積の中に公園・駐車場もった大施設で、サウナから露天風呂まで備えた弱アルカリ泉の温泉だ。一日300円は馬鹿安だ。ゆっくりパソコンを遣わしてもらう。




線を引く

2005-10-14 21:58:33 | パソコン同好会
10月12日

10月12日
 平成17年1月1日より285日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   13,168歩   9,218m
 総計 3,858,753 歩 2,701,127 m
       仮想通過地点   沖縄(9.23)

 パソコンの日、先日どうしても「切り取り線」が引けなかったので、全員で本の指示通りにやってみる。私のパソコンはやはり出来なかったが、他のものは皆、線が引かれたではないか。

 私は再度挑戦したがやはり出来ない。そして皆さんは何回やっても失敗することなく線が引かれるではないか。ここで皆さんには有る「オートコレクト」マークがわたしには無いことに気づいた。

 そこで「オートコレクト」のオプションを開いて、みなさんのと比較してみた。やはり皆のと私のではチェックに異なるものがるのを見つけることが出来、修正で私も線引きに成功した。 ばんざい!

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          思い出の「道中日記」 38日目 中里村~津南町~栄村

 10月12日 起床4:10 出発6:45 天候晴れ 就寝9:00
今日の行程
 ホームページに送信しないことを良いことにして、昨晩は日記を書くことを怠ったので、早起きして日記に挑戦する。昨日の王将までバックして栄村道の駅「信越さかえ」を目指す。正午越後と信濃の国境に着く。急げば今日にも世界一周は達成できそうだが・・・。約束は15日の午後だ。さてこれからそれまでをどうして過したらいいだろうか。思案のしどころだ。
清津大橋
 昔、田沢の端に大きなお屋敷があってその前の坂を下った所に橋が架かっていて、川を渡ってから又坂を上って行く道になっていて、小さな三輪車にりんごを満載して行って随分怖い思いをしたもんだが、今は国道の高さのまま一直線に対岸まで長い橋が架かっている。この様にして大割野も森と宮野原の間も改良されている。今昔の思いだ。

奇遇
 大割野の橋を渡ったところで、市の口の牧野荒物店の主人に会った。私としては青森県下北半島から歩いて来て初めて会った部外者だが、牧野さんにしてみれば毎日の御用聞きのコースだし、私とは隣町の知り合いだから何のことはない。「よう!げんきかい。飴玉はどうだい」と一袋毎差し出した。その気安さと飯山の人に会えた喜びにほろっとした。ありがとう!



差し歯がとれた
 もらった飴玉を舐めながら歩いていたらカチッと来た。堅いが飴玉とは違う感覚にハッとした。差し歯が抜けたのだった。好意でもらった飴玉舐めて歯がとれるとは・・・。

大倉雪覆工
 信濃川が山にぶつかってカーブする絶壁にスーシェドが何箇所か設けられていて冬の安全対策がなされているんだが、その最たるものが大倉雪覆工である。この工事は国道を完全に閉鎖してやった。此処を通らないで六日町に行くには冨倉峠を越えて直江津へ出て松之山から十日町に下って更に当時は小千谷周りで行く道しか知らない私たちは、工事中の脇にある、人が歩くトンネルの中を真夜中にりんごを満載して通ったものだ。工事の関係者に見つからないよう、トンネルの壁にりんご箱が張り付かないようはらはらしながら運転して行ったもんだ。あるとき、トンネルを無事通ってホッとして前を見たら道に大きな穴を掘ってあった。夜明けまでに何としても通り抜けなければならないので車からりんごを降ろしてやっとの思いで車を穴からあげて、またりんごを一箱宛積み替えて脱出した。生涯忘れられない思い出だ。



道の駅信越さかえ
 長野県に入って最初の道の駅だ。多くの車、大勢の人が立ち寄る。その長野県の観光の顔にもあたる道の駅があまりにもご粗末なのでガッカリした。道の駅に必須のものは駐車場とトイレだが「情報発信」と「休憩所」も道の駅の重要なものであるはずだが、これが無い。あるのは物産の販売所と食堂だけだ。その食堂も「本日休業」の札が掛かっていてあきれてものも言えない。青森からここまで寄ってきた道の駅では最低だ。困ったもんだ。









綿の鉢植え

2005-10-14 18:58:24 | 犬も歩けば棒にあたる
10月11日

10月11日
 平成17年1月1日より284日目
    歩いた歩数   其の距離
 本日   13,331歩   9,332m
 総計 3,845,648 歩 2,691,954 m

       仮想通過地点   沖縄(9.23)

 愛宕町雁木通りには今年も山野草を中心に、各家が競い合って賑やかに鉢物が飾られていて盛観である。そのなかに「綿」の鉢植えがあった。

 昭和18年、私が飯山にやってきたときには、既にかなりの面積に綿が栽培されていた。当時は衣料品は既に切符制で、点数を使いきってしまうと買うことが出来ない制度になっていたので、自給自足の体制をとらざるを得ない時代で、「欲しがりません、勝つまでは」が合言葉であった。

 1990年、私は河北省邯鄲市の野菜試験場を訪問したとき、見渡す限りの綿畑
を見た。車を停めてもらって、技師に綿の実を要望したことが有る。先方からは「日本の野菜の種」は香港経由でしか入らないので、直接輸入できる体制で「合弁」を呼びかけられた思い出がある。

 雁木通りで綿の鉢植えに対面して、戦中・戦後の激しい世の移り変わりに、生き抜いてきた人生の有為転変にあらためて「運命」を感じた次第。

               

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              思い出の「道中日記」 37日目 湯沢町~中里村

起床5:10 出発9:20 天候晴れのち曇り 就寝8:40
今日の行程
 いつもの習慣で、宿で泊まった時はその土地を視察することになっているので、湯沢温泉を一巡り。朝食のあと、石打駅に全員集合して、此処で家族と別れて十二峠を目指す。覚悟した割には楽にトンネルに着き、下りとなる。清津峡が見える休息所で激励に来てくれた滝沢周一さんと歓談する。予定より早く着いたので目標を変更して117号線を目指し、パチンコ王将で車を交代、道の駅キナーレで泊まる。
湯沢雑感
 駅周辺は新幹線の駅とあって活気もあったが、早朝のウオーキングで一巡した感じでは、スキー景気が去ったせいか、売り家・売り地などの看板も目立ち、マンション・店舗の格安譲渡の張り札が目立った。驚いたことにこの観光地の燃料店に軽油85円の看板を見たことだ。                  


353号線
 湯沢町石打から中里村田沢に通じる道が353号線だが、思ったより整備されていて気分よく歩くことが出来た。頂上付近では更に改良工事が行われていた。頂上の十二峠トンネルは1979年完成とあったが、1680mと長い割には交通量がさほどでなかったので自動車の恐怖は感じなかった。このトンネルの中で滝沢さんに目撃されたようだ。トンネルを出て気分良く歩いていると、ベンツから警笛が聞こえた。わたしにもこれは滝沢さん愛用のベンツと判断できた。



東屋で歓談
 目標の清津峡が眼下に見える東屋で私たちは驚きと奇遇で心躍る思いを述べたが、滝沢さんはホームページを解読して、キット353号線を行けば見つかると確信していたので予測が当たったことを喜んでいた。妻がお茶を沸かすなどして話に花が咲き、時間の経つのも忘れて歓談することが出来た。

田沢を目指す
 昼食後、予定では清津峡で一泊することになっていたが、田沢まで歩くことにした。途中豪雪地帯の冬季交通の整備されているのを見て「日本に僻地なし」の感を持った。程島スノーシェドの豪華で長いのにも驚いた。また「ここが 白羽毛 美人がどっさり こどもが チョロチョロ スピードだすな」とあぜ道会の微笑ましい看板が目に付いた。



記録非公開
 世界一周もあと4日と迫ったが、飯山に近づくにつれて、私の行動が手にとるように判っては、夢がなさ過ぎるようだと思い、今日からの記録は送らないことにした。何処にいるか、何時着くか判らない方がたのしみがあるんじゃなかろうか。

再びキナーレへ
 今晩の塒を再び十日町道の駅キナーレと決め、田沢のパチンコ王将で車を交代して十日町までひとっ走り。ざぶんと「明石の湯」へ・・・