百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

老燃教室

2009-05-26 18:14:40 | Weblog

  5月26日  (火) 
                          平成17年1月1日より 1607日目
                                      歩いた歩数      その距離
                    本日        14,782歩       10,347m
               総計   22,642,208歩  15,862,546m
   パキスタンのイスラマバードを経てアフガニスタンのカンダハルに向かう。後 818,654m

  我が家の孟宗竹、こんなに太くなったのは初めて。もっとも今まで、太いのから食べてしまったからも知れないが・・・。

                     

  今日は第4火曜日で老燃教室の日。公民館に行くと既に顔見知りの皆さんが大勢屯して居た。どうして会場に入らないのか不審に思っていると、会長から「講師の先生が都合で欠席されることになったので、ふるさと館の参観に変更になりました」と告げられた。 

 講師のMさんは郷土史に深い蘊蓄をお持ちなので、大いに期待していたが、聞けば御病気の由、更に聞くと「奥さんが倒れたのだ」とか、いずれにしてもお気の毒なことだ。一日も早いご回復を祈るばかりだ。

 飯山ふるさと館は飯山の自然や歴史・文化を知り、市内各地に点在する歴史遺産や自然を事前に学習するための施設だが、今日は日頃の生活に追われて故郷の足元を見直す良い機会となった。

 子供の頃自分たちが使って居た所帯道具や雪と闘って得た知恵から生み出した器具や被りものなどを見て、古き良き時代を回想したが、名前は勿論既になんに使ったものかさえ忘れて、周囲の人に聞くありさまに接して老境を感じた。

                

 雪山を築いた「こうずき」囲炉裏に吊って鉄瓶や鍋などを提げた「自在かぎ」。囲炉裏に付き物の「火吹き竹・火箸・十能」。富倉で借りた「六角」と言った照明用具も今は懐かしい。炊いたご飯を釜ごと温めた「つぐら」。その中に一日中入れられていたザイの赤子、思い出しても不憫だ。そのほか冬はわらで作った「みのぼうし」「みの」「わらぐつ」「ふんごみ」「こんご」。ゴム長より余程暖かかったのも懐かしい思い出だ。時間の経つのを忘れて立ち尽くし、気がついた時は皆公民館に引き上げて居た。


北陸新幹線飯山駅高架橋だより(2)

2009-05-26 08:54:09 | Weblog

  5月25日  (月) 
                   平成17年1月1日より 1606日目
                         歩いた歩数      その距離
               本日           17,782歩        12,447m
              総計   22,627,426歩  15,839,198m
 パキスタンのイスラマバードを経てアフガニスタンのカンダハルに向かう。後 829,002m

             

 北陸新幹線の工事記録の第2号が張り出されていた。「所員紹介」で時本副所長さんの記事、出身は埼玉県、長野県は3度目の現場、オリンピックの角間大橋も担当されたという橋梁工事のベテラン。

             

  その脇には「フーチング」工事の進め方について写真入りの説明がついていた。新幹線の基礎で完成すれば地中に埋められてしまうのだが、最も肝心な工事で、その太い鋼線でさながら餅焼きの網を作ってる程の緻密な組み立てには驚いた。今はただ上のコンクリートの支柱だけしか見えない。

               

  橋梁工事の進捗率は4月末現在15%というが、今は綱切り橋からの道路の上を跨ぐための足場の工事をやっている。さながら大きなビルを造っているようだ。

  


日馬富士の優勝

2009-05-24 19:14:24 | Weblog

 5月24日  (日)  ②
            平成17年1月1日より 1605日目
                                  歩いた歩数      その距離
           本日           15,291歩        10,704m
           総計   22,609,644歩  15,826,751m 
  パキスタンのイスラマバードを経てアフガニスタンのカンダハルに向かう。後 841,449m

  大相撲夏場所は24日、東京・両国国技館で千秋楽を迎え、14勝1敗同士の優勝決定戦で日馬富士が白鵬を降し、初優勝を飾った。日馬富士おめでとう!

                

大相撲夏場所14日目を終わって優勝戦線に残ったのは1敗の白鵬、日馬富士、2敗の朝青龍と稀勢の里の4人で、日本人は稀勢の里只一人。千秋楽を迎えて、稀勢の里は鶴竜を破り、希望を繋いだが、日馬富士が琴欧州を首投げに破った時点で脱落。白鵬が朝青龍を寄り切りで破った事で、日馬富士と白鵬の優勝決定戦となった。 

                                           

  優勝決定戦は本割対決で白鵬に敗れた日馬富士がうまく左を深く差し、下手投げで遂に白鵬を破った。大関昇進の場所での4連敗という屈辱から立ち直り、幕内最軽量の日馬富士の根性が模範力士ともいえる白鵬を上回ったということだろうか。その根性の元は何か?聞けばけいこ、稽古、猛稽古だという。

 千秋楽、優勝戦線に残ったの東西の両横綱に大関の日馬富士の3名、それが全員蒙古出身とあっては、「国技」が泣く。日本人の両横綱による優勝決定戦が観られるの何時になるだろうか?どうも近い将来には無理のようだ。なんとも情けない!私の生きている裡にこの願いが実現できるよう期待したい。日本人力士の奮起を望む次第だ。

 

 

  

 

                             

                             

 

 


犬と私の10の約束

2009-05-24 06:23:18 | Weblog

  5月23日  (土) 
                         平成17年1月1日より 1604日目
                        歩いた歩数      その距離 
                         本日           14,988歩        10,492m
                         総計   22,594,353歩  15,816,047m
  パキスタンのイスラマバードを経てアフガニスタンのに向かう。後 852,153m

              

   「犬の映画なんて観に来る人はタンと居ないよ!」と妻が言った。そうかも知れないが、私は”犬の好きな人も、嫌いな人も清い涙で心洗われる名作です。是非お出かけ下さい!”と長寿会の人たちに伝えた。

 「犬の十戒」は動物愛護会の役員さんに推薦されて目を通したことがあったので、誰も来なくとも我が家の「ダイちゃん」に接する心構えになればとの思いもあって選んだものだ。

 開幕すると、意外に多くの人たちがやってきてくれた。ぞくぞくするほど嬉しさが込み上げて来た。10の約束が何回となく出てその度に、我が家の”だいちゃん”に接して来た自分が反省させられたが、兎に角、いつの間にか涙が止まらなくなっている自分に驚いた。、「私は10年くらいしか生きられません。だから、できるだけ私と
一緒にいてください」ときたときには、我慢できなくて、涙声になってしまった。
「死ぬときはそばにいてください」で、私は落ちました。終わった後、皆さんから「良かった!良かった!」と声を掛けられ、これを選んだことに満足した。


梁さんに返礼

2009-05-22 18:25:49 | Weblog

  5月22日  (金) 
                         平成17年1月1日より 1603日目
                            歩いた歩数     その距離
                        本日      16,398歩      11,479m 
                        総計   22,579,365歩  15,805,556m
     パキスタンのイスラマバードを経てアフガニスタンのカンダハルに向かう。後 862,645m

  中国からキノコの研修に来た梁さんから中国の歴史文化を象徴する切手を収集した素晴らしいお土産を頂いたので何をお返ししようかと悩んだが、私が将来勉強になればと中国から買ってきた「孫子の兵法(CD13枚)」と三国志演義(CD30枚)」が私にとっては「猫に小判」となっているのを、中国に返還する方が役に立つのではないかと思案の末決めた。

 宿泊先がローヤルホテルと聞いていたが、私の車には電話番号を入れれば案内して呉れるといった便利な装置はないし、急ぐ旅でもないので、ホテルをインターネットで調べ、その周辺の地図をプリントした。ホテルは国道403号線上にあることが判ったので、兎に角、403号線と辿って行けば玄関まで着くことができると、403号線を目指して出掛けた。

  驚いたことに、403号線は中野市の入り口七瀬に標示されて居るではないか。占めたとこの標識を頼りに行ったが、途中、前にダンブカーが入ってしまい標識を見失い、気がついた時は橋の上、長野市に向かって居た。この辺は昔はよく通っていた所なので、引き返して松代に向かった。大きなホテルが現れたので其処に目標を絞って接近したが、またもや電鉄線を跨いでしまい、ぐるっと一周してやっと辿り着いた。3時37分。

 ホテルに入るとフロントに屯している一団が中国の視察団であることが判った。聞くと4時から歓迎会なので全員ここに来るからお待ち下さいと日本語で答えて呉れた。其処へ飯山できのこの説明をして居た連中もやってきた。そこで大口君から失くした中国の皆さんの名刺を受取り、土産を託した。僅か10分ほどで全ての作業は終わった。まごまごして居て歓迎会にでも引っ張り込まれては大変と梁さんには逢わずにホテルを出た。誠意が通じれ呉れることを祈るばかりだ。