ウィル
あの世で今なにしてる?
もうすぐ朝ご飯の時間だ
寝てないで起きなさい
部屋の清掃するよ
綺麗な部屋から外にいきたいだろ
笑顔でいたいんだけど
眼が曇って見えなくなる
年のせいかな
土日は私も妻も日中いる日だよな
そんな日を選んだのか?
大きな病気もしたことなかったな
天に逝くときも迷惑かけずに
本当に飼い主孝行な犬だった
周りのものが曇ってよく見えないな
ウィル
あの世で今なにしてる?
もうすぐ朝ご飯の時間だ
寝てないで起きなさい
部屋の清掃するよ
綺麗な部屋から外にいきたいだろ
笑顔でいたいんだけど
眼が曇って見えなくなる
年のせいかな
土日は私も妻も日中いる日だよな
そんな日を選んだのか?
大きな病気もしたことなかったな
天に逝くときも迷惑かけずに
本当に飼い主孝行な犬だった
周りのものが曇ってよく見えないな
ウィルは2022年11月27日2000時に。私と妻が見守る中、安らかに永眠しました。
供養は、火葬に明日14時 やります。
ウィルは、14年間 大きな病気をすることなく、死去するときも
迷惑をかけることなく、逝きました。
ウィルは私に身をもって教えてくれました。
往生して死ぬように。
死ぬときは、迷惑かけないように最低限に。
ウィル
子供たちと遊んでくれて、ありがと
私や妻に癒やしを与えてくれて、ありがと
私と妻と14年間一緒に過ごしてくれて、ありがと
横になって、前足が硬直し、呼びかけにも反応しない
呼吸が速い。
昨日、病院に行って、これかよって感じです。
少しでもウィルの辛さを取ろうと病院に行き、病院に行って昨日の夕方まで安定して、楽そうな感じだったのに、深夜から、このような状態になってしまいました。
今日は、予定を全てキャンセルして妻と共に、ウィルに寄り添ってやろうと思います。
妻や私がウィルに今できることを、しようと思います。
今日は、涙が止まりません。
14年間の思い出が走馬灯のように思い出されます。
ウィルが辛そうなので妻と私と一緒に病院へ行きました。
立てないので、敷物にくるんで車に乗せて病院へ
病院での診断は、老衰だそうです。
嘔吐していましたので、嘔吐止めの注射を2本、血圧を安定するパッチをしました。
飲み薬は、2種類もらいました。
病院から帰ってきたら、ウィルは安定しています。
医師からは、ウィルの生命力がどれだけあるかと話されました。
ウィルに一緒に生きようと何度も話しました。
14年間の思い出話しもしたら、少し元気になってる気がしました。
今後、ウィルと時間があれば、出来る限り、ふれ合いたいと思います。
ウィルに話しをすると泣いてしまいそうになりますが、ウィルは、たぶん笑顔の私や妻を見たいと思いますので、頑張って、笑顔で接したいと思います。
深夜に、寂しそうな声を出し吠えていました。
見に行き、どうした?と声を掛けながら寄り添いました。
そのうち妻も見にきて、夫婦でウィルに話し掛けました。
言葉をしゃべれれば、やって欲しい事をやってあげれるのだけれども
寂しいそうな声を出して吠えているのでは察してあげることは出来ませんでした。
すまんな・・・ウィル(泣)
私と妻で笑顔で接しようと話し合っていたのですが、妻も私もウィルの弱った姿と寂しげな声を聞いたら、自然と妻も私も涙が出ていました。
14年という歳月は、子供たちが高校生のときに家に来て、現在、2人共結婚し、娘の方には初孫がいる期間でもあります。
長いようで短い期間に感じます。
どのくらい。
深夜にウィルを見に行く機会があるか分かりませんが、私と妻で精一杯ウィルに語りかけようと思います。
我が家で、本当に幸せだったか?
ウィル・・泣
ラブラドールのウィルくん
現在、14歳と老犬の部類に入ります
歩くと、よろめいて倒れます。
右眼が見えてません。
寝てる時間がかなり多くなりました。
かろうじて食欲があるのが、救いです。
14年前、我が家に来たとき小さくて、寒い冬のときは犬の部屋で一緒に寝たこともありました。
ウィルという名前は、子供たちから付けてくれました。
一緒に走り、川で遊びました。
もうそれも出来ません。
老いていくとは、どういう事なのかウィルから教えられてます。
やはり、ウィルは私の師匠です。
これでからも一層、そばにいようと思っています。
ウィルが部屋で寂しそうに鳴いたときには、夜中でも見に行き、どこが苦しい?と言いながら抱きしめています。
とにかく、ウィルに痛い思いをさせずに、安らかに過ごさせてやりたいと思っています。
ウィルは、いろいろ私に教えてくれている師匠です。
ついに日本とドイツの対決の日が来ました
日本がんばれ~
勝って欲しい。
私も日本選手からパワーをもらい、病気と共存できるように頑張ります!
日本を応援しましょう
追記
試合が終わって、2日経ちますがメディアでは
日本ードイツ戦が連日報道されています。
連日報道されては、次の試合に影響がでるんじゃないかと危惧しています。
コスタリカはスペインに負けて、必死で日本戦に挑んで来るでしょう。
日本ードイツ戦は、もう忘れて次のコスタリカ戦に向け、静かに集中しましょう
イングランドーイランの試合
6-2
イングランド強い!
それと
抗議の声をあげました。
私は、負けたイランの選手を賞賛します。
ワールドカップ カタール2022が始まりますね。
日本は、ドイツ コスタリカ スペインが相手
厳しい感じがしますけど、頑張って欲しいですね。
私は、個人的にはリアルマドリードが好きで、その中でもスペインの選手が好きです。
ナチョ ヘスス・バジェホ ダニエル・カルバハル アルバロ・オドリオソラ
ダニ・セバジョス がいます。
病気に振り回されないためにも、ワールドカップを見て、楽しみたいと
思います。
2020年10月の速報値で、自殺者は1万8千人強です。
毎年、3万人の自殺者がでる社会は、良い社会と言えるでしょうか?
現代社会は、不安だらけの社会になってしまい、安心感や心のよりどころを求める人が増えている気がします。
そんな社会で自ら不安がり、自滅している人もいることと思います。
やはり、
『気にしない力』が必要だと思っています。
自死は、自然死・病死と違い、他人に余計な迷惑を掛ける行為だと思います。
自然死・病死は他人に迷惑を掛けるとは言っても、最小限です。
メディアで報道されるコロナの死者数は数字
命の重さを、知るには薄すぎる。
死者数を数字で見てもピンとこないんじゃないでしょうか。
精神障害を発症して6年間、もだえ苦しみ
なにか憑きものでも、ついてるんじゃないかと思うほどでした。
憑きものの定義
人に取りついて災いをすると考えられている動物などの霊。これに取りつかれると,精神に変調をきたすといわれる。狐憑き・犬神憑きなど。もののけ。
憑きものの定義を調べたら、上記のような内容でした。
今、考えると 難しいかも知れませんが精神障害に集中しちゃうと
憑きものは落ちないと思います。
それよりも、パニック障害の電車やバス・車に乗れない
駅を見ると、パニック発作が起こる。
それでも、
認知行動療法で、部屋に引きこもっているのを外に出る事から始まりました。
毎日、駅にに1歩でも、1mでも進む事が大切かなと思います。
これは、あくまでも私の体験談であり、全ての人に通用する訳ではないと思います。
そして
精神論を話してる訳でもありません。
現在は、脳梗塞の副反応に、十分対応できなくて妻に迷惑をかけてしまっています。
一重に、私の練習不足であり、焦らずに長い時間をかけて、共存していきたいと思っています。
病気で苦しむのは、妻といえど他人に分かりません。
分かって欲しいという気持ちは、わかりますが、それは無理だと思います。
病気を良くするのも悪くするのも、自分次第だと思います。
以上
私の体験談を書いてみました。
精神障害にあり12年、発症してから5年は、入退院を15回繰り返しました。
その間、苦しくて自殺未遂3回しました。
どうしてこんな病気になったのかと何度も繰り返し考えていました。
この時のことは、今まで記事で書いてますので、詳しくは割愛します。
こんな中、子供たちや妻には迷惑を掛けてしまいました。
そして、
僕の元から去らなかった妻や子供たちに感謝しています。
この言葉は、今になったから言える事で、当時の私には言えませんでした。
薄皮を剥がすように、徐々に精神障害と共存できるようになって来ました。
今は、脳梗塞の副作用が、まだ共存できなくて四苦八苦してる状態です。
また
精神障害と脳梗塞の服作用が同時に、身体に出たときには、苦しい。
共存ができるようになるためには、しばらく時間がかかるかと思います。
苦しさだけではなく、子供たちの結婚・出産(孫)など、嬉しいこともあります。
妻にも、メンタル面で支えられています。
生きていれば、いいことあると思いますし、死んでしまえば、そこで終わりだと思います。
精神障害(うつ病・躁鬱病・パニック障害など)を持って、約12年
脳梗塞(今年6月13日発症)になり、5ヶ月そして、副作用
高校を卒業してから社会人になり、私には妻と共通の目標がありました。
① 父親みたく家庭を壊さない。
② 子供には経済的自由を与える。
③ 子供を一人前の社会人にする。
この3点は、私が受けられなかった事です。
そして、
途中、精神障害になりながらも、目標は達成できました。
妻の協力が大きく、感謝しています。
目標を達成した訳ですが、還暦の私には、これ以降の目標がありません。
しいて言えば、
妻と2人で仲良く暮らす?
孫を見て喜ぶ?
静かに暮らす?
どれも違うような気がします。
だからと言って、バリバリ働ける訳ではなく、なにが出来る訳でもありません。
焦ってなにかをしようとすると失敗ばかりしてたので、焦らないように気を付けています。
今の私に何か出来るとすれば
『他人に迷惑をかけない』ことかなと思います。
簡単なようで難しい気がします。
焦らず今後の目標を見いだしていこうと思っています。
やれやれ 人生って徳川家康じゃないですけれども
重き荷を背負うが如しですね。
ICUから一般病棟に移されてから
日常訓練動作(OT)・運動療法(PT)・嚥下訓練(ST)が始まりました。
身体がまともに動かない状態での早期の訓練です。
流動食のための管が鼻から胃まで通っており、それで栄養を補給していました。
OT・PT・STの訓練は。厳しいものでしたが、私の中で
何故か、復活するんだという想いが強くなり、夜8時か9時の就寝前に寝て
朝3時に起きて、朝焼けに復活させて欲しいと祈りしました。
3週間ほどで歩行のふらつきはあるものの、日常生活動作が出来るようになり
嚥下も、管が外れてからムース食から、形がある食事になっていきました。
1ヶ月ちょいで退院となり、妻が私の歩行時のふらつきで転倒防止のため、
介護保険で、自宅に手すりを付けてくれてました。
脳梗塞を発症してから、5ヶ月ですが、普通の食事がまだ食べれていません。
歩行時のふらつきもあります。
私は精神障害と脳梗塞の副作用である嚥下障害・右半身麻痺・歩行障害と
大きく2つの障害を抱えながら、生活してます。
これらの障害と共存しながら、今後も生きて孫 孫 したいです。
苦しいですが頑張って生きていきます!
2022年5月30日(月)に、息子の結婚式から帰って来て
14日目の6月13日(月)朝7時ごろ
急にコーヒーが飲めなくなり、次第に目が回り、感覚がなくなり、意識が遠のいていきました。
二階が私の部屋なので、妻から、いつもの精神症状と言われましたが、
これは違うと思い、二階から尻を付いて1階に下がり、自宅の固定電話で
119を声を振り絞ってしました。
119した後、意識がなくなり、一瞬救急車の中で意識を戻りましたが
そのとき、子供も一人前にしたし、『もう十分なのかな』と
思いました。
そして、意識がまたなくなりました。
次ぎに意識が戻ったのは、病院のICUです。
身体に管が通されて、脳梗塞の眼振もあり身動きできませんでした。
病院のICUに10日間ほどいて、一般病室の個室に移されました。
その頃は、嚥下障害、身体の右半分に麻痺、歩行のふらつきが
ありました。
それから25日間、リハビリなどでの戦いが始まりました。