『死』について、俺の記憶と経験からは、親や学校から教えられたという記憶がありません。
たぶん多くの人間が、『死』というものを、あえて避けてきたのだと思いますし、自分が死ぬこと
などないと思って日々過ごしているからだと思います。
この『死』を語らないのは、俺自身、大人の責任を放棄しているのと同様であり、子供らに後悔を
させる結果になると考え、実際の生活で、妻や子供たちに話してる内容を中心に書きたいと思います。
俺みたいのが、『死』について書くというのは、おこがましいですが、
『死』を意識したものとして
『死』を図ったものとして
書きます。
俺自身、『死』を意識した瞬間が、2つあります。
1つ目は、有珠山の災害派遣で、現地に半年くらいいて、目の前で熔岩をみたとき
2つ目は、はっきり憶えているのは、今の病気になって1~2年たった頃、病気の苦しさに負けて、2度、自殺未遂を
図ったとき
この2つの時、『死』を意識しました。
その後、
妻や子供らに支えられながら、病気を抱えて3年くらいまで、
【俺は何者なんだ】
【俺は何のために生きてるんだ】
【俺は何をするために、今、ここにいるんだ】
と病気の苦しさの中で、自問自答しました。
このとき、
何度、死のうとしたかは、憶えてません。
何度、妻や子供らに止められたか、憶えてません。
死のうとする俺と、生かそうとする妻や子供らの修羅場だったと思います。
病気が小康状態のときも、何度かあり、そのとき、
どうせ死ぬんだったら、何か一つやろうと思いました。(反社会的なものでなく。)
それは、
自衛隊病院精神科に、何十回と入退院しているうちに、
この病気の理解が、足りなく、辞めて行かざるを得ない方たちを多く目にしました。
その経験から、
この組織へのお世話になった恩返しとともに、病気に対する理解が足りなくて
辞めて行かざるを得ない状態を、少しでも解消したいと願い、当時、あんまり確立して
なかった自衛隊のメンタルヘルスケアの態勢を、少しでも確立したいと考え、
自衛隊組織や防衛省の交渉に臨みました。
その間、
この職を自ら辞する事はせず、メンタルヘルスの態勢を確立するために、病気の苦しさがあっても、
妻に付き添われながら、職場に行きました。
ただ、ここで話しておきたいのは、メンタルヘルスケアに理解を示してくれる上司がいたことは特筆しておきます。
理解を示してくれる上司ですら、それの確立の難しさを、何度も話されました。
その話してくれた気持ちは、十分に理解は、しています。難しさも。
交渉は、簡単に言えば、現職場ー上級部隊ー防衛省の順で行わなければならず、時間がかかってしまいます。
その時間がかかるのを承知の上で、メンタルヘルスケアの態勢を確立するんだと決意した以上、やりたい。
そういう気持ちで、やりました。
もっと詳しい事も書けるのですが、この辺で、やめて置きます。
俺が職場を依願退職する半年前に、メンタルヘルスケアの態勢ができたことを、上司から聞かされました。
あなたの思いが実ったんです。と話されたとき、もうここでの俺の役割は、終わったと真に思いました。
2011年6月に依願退職しました。
この間、
妻や子供ら、そして主治医及び臨床心理士並びに、メンタルヘルスケアに理解をもって頂いた先輩・同僚・後輩退院に
感謝をいたします。
話が、少し逸れてしまいましたので、
『死』についての話に戻していきます。
上記の話では、俺自身の自衛隊生命を「死」してやったことであり、
それは、
後生のためになると考えたからです。
評価されなくても、その成し遂げるために何を言われても、いいと考えていましたし、
後生のために、語り継ぐ事や何かをする事は、責任であると今でも、思っています。
そして、
病気になってから、何か引っかかるものがあると感じていた俺自身、それが何かがわからなかった。
上述したように
【俺は何者なんだ】
【俺は何のために生きてるんだ】
【俺は何をするために、今、ここにいるんだ】
と病気の苦しさの中で、自問自答したのも、その為だと思います。
このような中で、
俺の気持ちを、少し、その間だけ、落ち着かせて頂いたのが、かなり前に書いた記事でもあるように
ニコ生の歌い手さんでした。
寝ながら聴かせてもらってしました。
聴いている間だけは、落ち着く事が、できました。
その恩返しのつもりで、応援させてもらっています。
ほんの1年くらい前、
苦しさの中で、病気から教えられた事があります。
それは、
○生きている意味
○生きている役割
です。
自ら問い直す事から始まり、その問いの答えは、自分自身でしか見つけられないものであると
今、そう感じます。
病気から、教えられた事は、
《負の連鎖》を俺の代で断ち切ることです。
俺のような人間に、妻や子供らがなって欲しくない。
そのためには、
俺自身を否定しながら、妻や子供らが、俺から学んでほしいと思ったからです。
その事により、
子供らの世代は、俺とは明らかに違う人生を歩んでくれるであろうし、
今の生活よりも、もっと質の高い生活をしてくれるだろうと信じているからです。
《負の連鎖》を断ち切れたと思う時期は、
俺自身が65歳だと決めています。
65歳は、子供らの子供(孫)を見て、その孫の中に俺がいないことが確認できれば
断ち切れたと確信でき、死ぬ事ができます。
死ぬ事ができるのは、
俺自身が生きている意味や役割を終え、その時点で、俺自身が存在してしては、
完全に《負の連鎖》を断ち切れないと考えているからです。
○生きる意味
○生きる役割
○生きる希望
が、完全に無くなったとき、死ぬ事が、後生のためになり、
妻や子供らの未来が開けるだろうと思っています。
この考えは、揺らぐ事はないと思います。
この書いた事は、
妻や子供らに話してることであり、妻や子供らも十分理解しています。
『死』を考える事は、『生きる』ことに繋がります。
若者たちには、『生きて』ほしい。
俺のような年をとった人間は、
『死』をもって、子供らに生きる希望・生きる意味・生きる役割を与える事ができると信じています。
刹那的な生き方を否定はしませんが、少しでも『死』とは何かを考えるきっかけになればと思います。
ここで言いますが、
特定の宗教などを支持している訳ではありませんし、加入していませんので、誤解のないよう話しておきます。