『不安定の安定の中で信じる』という事で、記事にしてみました。
不安定の安定とは、
俺は、日々、家族+師匠、そして病気とともに生きている。
その不安定とは、
病気の事をさしています。
日々、変化する症状は、千差万別で、それに対応するのは、格闘といえます。
それは、
勝手に、自動思考する頭と安定を求める心との戦いです。
勝手に、自動思考する頭と心が連動してしまえば、行動は、おのずから
他者を傷つけるものになります。
それでは、
俺が目指す『負の連鎖』を断ち切れないので、危ないと感じた時には、
○外に出ない
○車の運転もしない
などをして、
薬を飲んで、すぐ寝るようにしてます。
そして、
安定してから、行動するようにしています。
このような中で
安定を求めるのは、難しいと気づいたのは、ここ最近の事で
不安定の中での安定だったら、できると感じています。
不安定の中の安定は、
たぶん、一生続くでしょうし、俺の中で共存(共生)していくつもりです。
ここで、いったん、休憩
なかなか、いい曲なので、
この歌を聴きながら、まったり休憩して、引き続き、記事をお読みいただければと思います。
【そんなふいんきで歌ってみた】深海少女【ぐるたみん】
SwallowSを歌ってみた。シロたん
引き続き、記事をお読み頂き、ありがとうございます。
不安定の安定の中で、一生共存(共生)していくと、書きました。
勝手な頭の自動思考は、俺にとり、不安定なものであり、苦しいものでもあります。
心が連動しそうになった時、薬を飲んで、すぐ寝るとも書きました。
唯一、薬の力を借りなくても、安定させる事を、つい最近発見しました。
それは、
『信じる』という事です。(宗教ではありません。)
『信じる』というのは、
○俺に、『負の連鎖』を断ち切れるんだと信じる事
○妻を信じる事
○子供たちを信じる事
○師匠を信じる事
なんの確証や根拠もなく『信じる』というのは、難しいと思います。
でも、
『信じる』で、俺自身が安定するのです。
「目に見えるもの」や「形があるもの」
要するに、
見たものでしか、「信じられない」のは、悲しいことであり、何か形や物が変われば
「新たに信じられる」ものを作りだしているにすぎないと思います。(しつこいですが、宗教ではありません。)
ですから
俺は、『負の連鎖』を裁ち切り、
妻や子供たちが、俺とは違う【生き方=人生】を歩んでくれる事を『信じて』いるのです。