第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

大泣きしました~・・・・・・・・

2007-08-05 15:28:59 | 日々の「つぶやき」

今日、奇跡体験!アンビリバボーの再放送を
家族で
見ていたら、
妻や子どもと一緒に泣きました。。。

本当に感動しました。

感動した内容は、下の通りです。

25年ぶりの手紙


  昭和の爆笑王と呼ばれた
落語家・林家三平の弟子に、
一人の男がいた。通称クーペこと本間良介。
破天荒な行動で何度も破門となったが、
その度に両親や姉が頭を下げ、それに免じ
て再入門を繰り返していた。
 そんなクーペも27歳で結婚し娘が誕生した。
クーペは娘に幸江と名付け、周囲が驚くほど
溺愛した。しかし自由奔放な性格が変わるこ
とはなく酒やギャンブルにひたる日々が続き、
結婚3年目に妻は離婚を決意し幸江を連れて
出て行くことになった。クーペは幸江が1歳で生き別
れることになった。
 その後も度重なる素行不良で、9回目の破門で落
語会を永久追放された。
全てを失ったクーペはますます酒とギャンブルに溺れ
借金もふくれあがり、別れた妻と娘にも何もしてあげら
れず、きっと娘は自分を恨んでいるに違いないと思って
過ごしてきた。
 2003年、55歳になっていたクーペは友人に借りた金で
東京多摩市にライブバーを開いたものの経営は思わしくなく、
アパートを借りる金もないので店で寝泊まりする毎日だった。
そんなある日、彼のもとに1歳の時に別れた娘・幸江から
一通の手紙が届いた。

  手紙には、幸江が興信所に頼んで
クーペの住所を調べたこと、会ってみ
たいけれどやめたほうがいいと思うこと、
そして生きているうちに
一言「生んでくれてありがとう」と伝えた
かった、という言葉が並んでいた。
 友人のshifoさんにも手紙を見せると、
娘を一日たりとも忘れたことがないと聞
かされていた彼女は「良かったね」とクーペ
に言葉をかけた。
 クーペはその夜、一心不乱に返事を書き続けた。
しかし返事を出すことはできなかった。手紙には
幸江の住所は書かれておらず、
封筒の裏には郵便局あてに「郵送先に誤りがあり届
かない場合は破棄してください」と書かれていた。
 そんな中、クーペが娘に書いた返事にshifoが曲
をつけた。彼女は歌にして歌ったらいつか娘に届
くのではないかと思ったのだ。

実はshifoはmihimaruGTの「気分上々↑↑」を作曲
するなどシンガーソングライターとして活躍していた
のだ。
 幸江から手紙が届き、クーペは変わった。周囲も驚
いたのだが酒をやめ、届くかわからない曲を歌い続け、
さらにshifoとコンビを組みライブ活動を始めた。
 クーペは歌がうまいわけではなかったがなぜか
人の心に響き、気づけば日比谷野外音楽堂で
単独ライブを行うまでになった。

  そして次のライブは福岡でやること
が決まったのだが、それは特別なこと
だった。幸江の手紙の消印が福岡だっ
たからだ。福岡に向かうと、たまたま入った
店の主人が新聞記者の知り合いで、
クーペのことが記事になった。それがきっかけで
ラジオやニュースで取り上げられた。
 これで娘に会えるとクーペは信じて疑わなかった。
ライブ当日、
クーペは手紙に貼ってあった写真をもとに
娘の姿を探した。

しかし娘の姿を見つけることはできなかった。
クーペは娘が自分に会わない選択をしたのだと思ったが、
幸江にも事情があった。
 1歳でクーペと別れた幸江は、4歳の時に母親が再婚し、
いつも優しい父親と祖父母に囲まれ何不自由なく成長
した。
 彼女が本当の父親の存在を知ったのは小学校
2年生の時。
保険証に「養女」と書かれていることを疑問に思い、
その時に母親が教えてくれたのだ。
母親は、本当の父親は幸江を捨てたわけではないので
恨まないようにと話した。
 それ以来家族の中で実の父親の話題がのぼることはなく、
幸江にとってその存在は宙ぶらりんのまま月日がたった。

  そして23歳の時に車購入のために
戸籍謄本を取り寄せたところ、そこには
初めて見る父親の名前が記されていた。
 名前を見て、実の父親の存在が急に
現実のものに思われ、幸江は生きている
うちに自分の気持ちを伝えたいと考え、
興信所に頼んで住所を調べた。
ほどなく住所はわかったのだが、
彼女はすぐには手紙を出せずにいた。
 小学校の頃に幸江がいじめられると、普段は無口で
静かな父が本気で怒り、彼女を守ってくれた優しい姿
を忘れられなかった。
だから自分が実の父と連絡をとるのは、愛情をたくさん
注いでくれた父親を裏切ることになるのではないか、
と思ったのだ。
 幸江は一年も悩み、手紙には2人だけの秘密にして
欲しいと書いた。
また今の両親を傷つけないように、手紙が戻らないため
の細心の注意も払った。
 そんなことを知る由もないクーペが福岡のライブから
東京に戻って4日目、
彼は店で脳梗塞で倒れた。右半身が麻痺し、ろれつも回
らなかった。
娘から手紙をもらう前のクーペだったら、生きることを諦めて
しまっていたかもしれない。
でも彼はもう昔のクーペではなかった。

  彼は娘に手紙をもらった時、
店のトイレの片隅に小さく「誇り」と書いた。
娘に恥じない生き方をしようと決めたのだ。
クーペは昼も夜もリハビリに取り組んだ。
少しでも早く娘に誇れる父になりたかった。
 その頃、幸江は自分のために父が福岡でコンサート
をしたことをネットで初めて知った。

そこには写真もあり、なぜか涙が次から次へと溢れてきた。
 2005年12月24日、脳梗塞からわずか2ヶ月で退院した
クーペに、幸江から電話がかかってきた。
最高のクリスマスプレゼントだった。
クーペは手紙をくれたことに感謝を述べ、
次の福岡でのライブを見に来て欲しいと幸江に伝えた。
 2006年2月25日、福岡でのコンサートの前日、幸江のもとに
クーペがコンサートまでに間に合わせようと
必死になって作った本が届いた。
そこには手紙をもらってから始めたクーペの絵
や書が掲載されていた。
 さらに、幸江がクーペに送った手紙も載っていた。
感謝の気持ちのつもりでクーペは載せたのだが、
2人だけの秘密にして欲しいと
書いたはずの幸江は傷ついた。
そしてクーペのもとに幸江の友人から、
コンサートには行けないと電話が入った。
娘に会える、その嬉しさから調子に乗った
クーペの大失敗だった。

  ライブ当日、急遽出版を差し止めたものの、
クーペはショックから立ち直ることができなかった。
一方で父親に会うのをやめようとしていた幸江
に母親は、「自分に嘘はつかない方がいいよ」
と言葉をかけた。
 コンサートが始まり、クーペは何気なく客席の
最前列に目をやった。そこには幸江の姿があった。
28年ぶりの再会だった。
 クーペは「25年ぶりの手紙」
作詞:クーペ 作曲:shifo)を歌った。
ところどころ、涙で歌うことはできなくなっていた。
客席の幸江も涙を流した。
 コンサート終了後、初めて2人は向かい合って話をした。
クーペは生きてて良かった、
やっと自分の人生が始まると思った、と思い出す。
 今年6月16日、クーペは3回目の福岡での
コンサートを行った。
実は今回、嬉しい知らせがあった。
オリジナルの化粧品の社長として活躍している幸江さんが、
メイクとしてコンサートを手伝ってくれることになったのだ。
 幸江さんは現在の2人の関係を、
みんなに2人の父親がいて幸せだね、
と言ってもらえるようになって良かった、と話す。
そして、現在のような関係になることができたのは、
今の父親と母親のお陰だとあらためて思っているという。

 

クーペさんとSHIFOさんの感動の歌は下のURLから
無料でダウンロード出来ます。
一度、聞いて見て下さい。

http://www.voiceblog.jp/coupeandshifo/

 


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