アへ首相と石破幹事長の会談が伝えられている。石破氏がこの国を代表する顔になる可能性は?
残念だが、あの顔で、あの話し方では無理でしょう。爽やかさからは遠いし、元気も出ない、まして何を考えているのか、特に外国から見ればミラクルだと思う。
終戦か、敗戦か
戦後69回目の8月が終ろうとしている。この国では、毎年この時期になると、あの戦争を、第2次世界大戦と呼ぶか、大東亜戦争、太平洋戦争、日中戦争と呼ぶかで論争が復活する。今この国で最も民主主義を体現していると思える天皇陛下は、「先の大戦で・・・」という言い方をしている。
また、8月15日を、終戦記念日と呼ぶか、終戦ではなくて敗戦であるというかについても論争がある。
『対談 文学の戦後』(鮎川信夫 吉本隆明著 講談社 1979年刊)の「九、野間宏「真空地帯」と靖国神社」で、二人が面白いことを言っている。吉本氏が、「終戦という観点を、いやだなと思いますね。自分の体験としては、敗戦というふうにそれを受けとめて、そこから何か、という方が正しいし、そういうふうにしてきたと思うんです。」と言う。
これに対して鮎川氏は、「国家という観念を前提にした場合は、敗戦なんです。けれども、終戦という感覚も、ぼくは絶対あると思っている。戦争に負けてもいいし、勝ってもいいけれど、・・とにかく終わってくれという感覚は、わりあい強くあったと思う。」「何も敗戦ということをごまかそうと思っていっているわけじゃない。」と返す。
私は、再び戦争をしてはいけないという観点から、「戦争は終わった」といった方が良いのではないかと思う。「戦争に負けた」ということは、今回は負けたが、次は絶対勝つぞという気持ちを保持しているように感じるので、終戦が良いのではないかと思っている。
靖国神社について吉本氏は、「靖国神社というのは納得できない、・・つまり、あそこはあまりいいところじゃないんだから、そういう人(戦犯)を祭った方がいいじゃないか。・・祭るのはけしからぬという人は、あれはいいところで、死んだ兵隊さんを祭ってあるんだ、だからそういうところに戦争責任者を祭ったらいかぬという意識だと思うんです。」と言う。
私は、政治家が参拝することには反対と考えていたが、一体どのような所なのか百聞は一見にしかずということで実際に見てやれと、30年近く前に、靖国神社にいったことがある。その時の感想としては、理屈上は受け入れがたいとは思いながらも、歴史的な展示物などは中々迫力があって心に響くところだなあと思った記憶がある。