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「経済クラッシュ」ノオト その11 西川祐子 『古都の占領』 財政危機 国債残高 財産税 

2021-12-30 09:36:08 | Weblog

テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」は「今日も御覧いただいてどうもありがとうございました」の言葉で終わり好感が持てる。僕も2021年の終わりに当り「この備忘録ブログを読んでいただいてどうもありがとうございました。」と申し上げます。

 

「経済クラッシュ」ノオト その11 西川祐子『古都の占領』 財政危機 国債残高 財産税  

2020.6.4(その1)から2020.9.2(その10)まで「経済クラッシュ」ノオトとして10回にわたって敗戦時における日本経済の混乱について調べ、今直面しているこの国の危機を取り上げた。その際に積み残した財産税が国民の実感としてどれ位の負担感だったのかという疑問が少し解けたので以下に記す。

『古都の占領 生活史からみる京都1945-1952』(西川祐子著 平凡社 2017年刊)の「Ⅴ 占領期京都メディア空間」、「4女性記者を10名採用した『京都日日新聞』」の中に、(P173引用)「4月(1946年)の新聞社会計主任の給料は4,000円で、公務員の初任給の倍であった。」とあった。

現在の公務員の初任給を調べてみると2021年4月1日現在の国家一般職(大卒程度)で182,200円である。西川氏の記述から、1946年当時の初任給は約2,000円と推測できるので、割り返すと91.1、約90倍になっている。

経済クラッシュその6(2020.7.13)、『財産税で貧富の差を問わず資産を没収』で、当時の税率(没収率)が記されている。「財産税は国民の資産に課税する税金だ。政府は資産額に応じて14段階の税率を設定した。例えば、①1500万円超90%、②500万~1500万円以下85%、③300万~500万円以下80%、④150万~300万円以下75%、⑤100万~150万円以下70%・・⑭10万円以上25%、これを現在の物価水準に換算した場合どの位になるのだろうか。当時における資産の価値、そして庶民がどれ位の預金を持っていたのであろうか。実感として掴みにくい。と書いた。

そこで、財産税法の課税価格と税率を90倍に換算して現在価格を推計した。

①現在、財産13億5,000万円超を持っている者には(旧1,500万円超)税率90%が課せられることになる。②4億5,000万円~13億5,000万円以下(500万円超-1,500万円以下)は85%、③2億7,000万円~~4億5,000万円以下(300万円超-500万円以下)は80% 、④1億3,500万円~2億7,000万円以下(150万円超-300万円以下)は75% 、⑤9,000万円~1億3,500万円以下(100万円超-150万円以下)は70%、⑥4,500万円~9,000万円以下(50万円超-100万円以下)65% 、⑦2,700万円~4,500万円以下(30万円超-50万円以下)60%、⑧1,800万円~2,700万円以下(20万円超-30万円以下)55%、⑨1,530万円~1,800万円以下(17万円超-20万円以下)50% 、⑩1,350万円~1,530万円以下(15万円超-17万円以下)45% 、⑪1,170万円~1,350万円以下(13万円超-15万円以下)40%、⑫1,080万円~1,170万円以下(12万円超-13万円以下)35% 、⑬990万円~1,080万円以下(11万円超-12万円以下)30%、⑭900万円~990万円以下(10万円超-11万円以下)25%となった。

感じるのは税率が非常に高いということだ。実感としてどうだろうか。一時話題になった2,000万円問題をもとに考えてみる。金融庁が2019年6月に公表した報告書「高齢社会における資産形成・管理」には「30年で約2,000万円の取崩しが必要となる」とされている。この2,000万円を基準にすると、仮に現在の預金が2,000万円の人には55%(!)の財産税が課税されるので、手元に残るのは900万円となる。では、納税後に2,000万円を残すためには、5,714万円×35%(税率65%!)=2,000万円、財産税を納めたのち2,000万円を残すためには5,700万円が必要だということになる。相当にラフな推計だが、当時の政府が随分と乱暴なことをやったものだと思う。

 

そして、今がこのことと無縁ではないという参考として、約1年前である2021.1.27の北海道新聞(夕刊)『今日の話題』~やはり増税か(磯田佳孝)~を全文引用する。(カッコ内は僕の補足)

新型コロナ対策の給付金や助成金で国の大盤振る舞いが続く。借金である国債残高は近く1千兆円に達する見込みだ。不安が募る。財政規律でなく、国民へのツケ回しに対してだ。すでに昨年(2020)夏の政府税制調査会で気になる発言があった。財源確保策として、有力な財政学者が、環境税や金融取引税に加え、資産格差の解消を目的に「金融課税」検討を挙げていた。金融課税?聞き慣れない言葉だが、詳しい説明はない。この学者の著作を調べてみる。それによると、所得増税でも足りない場合のみ「金融資産課税」を1回限りで実施するという。貯蓄残高が4千万円を超えれば、原則10%課税するものだ。約43兆円の財源が一気に入る算段となる。(4千万円以上貯蓄残高がある人の資産総額は430兆円ということがわかる。)

現状では金融機関の口座すべてを捕捉できない。このため、マイナンバーのひも付けを求める。(国がマイナンバーカードの普及に躍起になっている理由がわかる。)応じなければ一律10%課税という。あわてて預金を現金化する動きもあろう。そこは抜け目がない。2年後(2024年度と言っている。)に1万円札の肖像が渋沢栄一(今年のNHK大河ドラマも連動していたのか?)になるなど紙幣が刷新する。これを課税期に連動させ「旧紙幣を新紙幣に対して一定程度減価させて交換する」。つまり今のお札を大量に抱え込めば、損をする仕組みをつくるという。実務上可能かは分からない。

もちろん学者の私見だ。賛否もあろう。政府税調は有識者の集まりで、政治家による与党税調と違い生殺与奪の権は握っていない。だが、方向性はつくってきた。官僚との意思疎通は深い。学者には厳しいという(スガ)政権はどう判断するのだろうか。

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加藤陽子 『この国のかたちを見つめ直す』 その2 平成天皇退位 三笠宮崇仁 皇室典範 神武天皇即位 元号 皇位継承 

2021-12-27 14:17:28 | Weblog

2021年も残すところ数日。一年が経つのは早いなあとの声が聞こえてくる。「時間とは何か」を友人と話した。はたして時間は均一に刻まれているのか。あっという間の時間もあれば、なかなか進まない時間もある。今を認識している自分は、その時点の自分ではなく未来の自分である。時間は質量を持った物質なのかエネルギーを持った波動なのか。時間には始まりがあり、終わりがあるのか。僕らが生きているこの宇宙に始まりの時間があり、やがて終わりの時間が来るのか。果てしなく問うことは楽しい。

 

『この国のかたちを見つめ直す』(加藤陽子著 毎日新聞出版 2021年刊) その2 平成天皇退位 三笠宮崇仁 皇室典範 神武天皇即位 元号 皇位継承 

著者は、「第4章「公共の守護者」としての天皇像 天皇制に何を求めるか」で天皇制についての見解を述べる。

「天皇と国民をつなぐ『神話』の解体のためには」(2021.1.23)では、今年の元旦に公開された天皇と皇后のビデオメッセージにおいて、天皇が「皆さん」と呼びかけ、難局を克服する主体を「私たち人類」と称し、皇后も結びの言葉で「皆様」と呼びかけたことに注目する。同じ元旦の言葉としては敗戦直後1946(昭和21)年の「新日本建設に関する詔書」(いわゆる人間宣言)において昭和天皇は「我国民」という呼称を何度も用いたことを想起すれば、語りかける対象を国民に限らない意思の表れと読み解いた。(原武史氏の解釈)。現在、この国に住む在留外国人は約288万人。我々は、国民国家の概念の見直しを迫られる社会に生きている。憲法にある「国民の総意」が変容しているという。

(僕)僕らには見逃しがちの微妙な言葉づかいから皇族たちの想いをくみ取るのがプロの技なのだろう。皇族が国民に語り掛けることのできる機会は限られており、また事前に調整が行われているため感情などが表に現れることは少ない。特に天皇、皇后についてはかなり制約がかかっているのだろう。だが彼らが何を思い、何を言いたいのか、感じとれる感度や読み取る力が重要だと思った。今年は、秋篠宮や眞子さんの肉声が伝えられ、そこにひとりの人間としての感情が発露されていた。

「今こそ皇室典範=皇室法改正論議を」(2017.1.24)。2016年8月8日平成天皇(現上皇)が退位の意向を表明した。現行憲法で天皇は国の象徴であると規定された当時、現上皇の叔父である三笠宮崇仁は1946年11月3日付けの意見書で「天皇は性格、能力、健康、趣味、嗜好、習癖、ありとあらゆるものを国民の前にさらけだし批判の対象にならねばならぬから、実際問題とすれば今まで以上に能力と健康を必要とする。」と指摘し、象徴であり続けることの困難さをすでに看破していた。

(僕)天皇であることは重く、たまたまその家庭に生まれたというだけで、たとえ嫌だと思っても簡単には辞められない存在である。子どもは親を選べないが、国民は総意をもって天皇という制度を変えられる。

「『国民の総意』に立脚し、変容を迫られる天皇の地位」(2019.12.17)で、著者は新旧の皇室典範制定にこれまで国民は関与することができなかったという。明治においては、井上毅らが草案を書いたが皇室の家法だからとして公示はされなかった。戦後の皇室典範(新)も、新憲法施行前に作ってしまおうとした内閣法制局の官僚が大急ぎで書いた。皇室財産と皇位継承などの最重要課題以外の問題、つまり大嘗祭などの儀式は「従前の例に準じて、事務を処理する」との通牒一つでそのまま継承することとされた。現状は、継承順位の変更や皇族の結婚などは皇室会議で決定される。たとえ本人が不満でも訴える先はない。現行憲法第2条には「国会の議決した」皇室典範により皇位が継承されるとある。また、著者は平成天皇(現上皇)の退位表明に対して、一代限りの特別立法で対応するとした政府の方針に対して、国会で退位規定や象徴天皇の在り方について皇室典範の改正を含めて根本からの議論を求めていた。我々は、退位表明という皇室典範の見直しの絶好のタイミングを逸したと同時に政府は根本的な議論を避けたと批判する。

(僕)平成天皇の退位、眞子さんの結婚、皇位継承問題などで、僕たちは現在の皇室制度が大きな曲がり角に来ていると感じている。この間に気づいたことの中でも「自由」が無いことが一番だ。行動、発言、交流、職業選択、居住、恋愛、結婚、投票・・国民が当たり前のように享受している自由が無いのだ。彼らは貧困にあえぐことはないだろう。食事も医療も日常品に不足することはないだろう。しかし、特別な存在としての限界、同情レベルの関わりではなく制度の行き詰まりを感じる。著者は表題に「『公共の守護者』としての天皇像」を掲げているが、公共から最も遠い所にいるのが皇族ではないか。

「国体という言葉があった時代、その時軍部は」(2011.8.21)で、著者は大津透氏の著書によって初めて720年完成の『日本書紀』が神武天皇即位を紀元前660年とした理由と経緯を知ったと書く。大津氏は、『日本書紀』あるいはその底本の編纂者が、十干十二支でいう辛酉(しんゆう)の年に革命が起こるという中国古代の言説に従って神武即位を定めたはずだと推測する。辛酉の年は60年に1回来るが、60年に3と7を乗じた1260年(この単位を蔀(ほう)と呼ぶ)が、最適の大革命の1単位と考えられていた。そのうえで、編纂者たちの記憶の範囲で当時の直近の辛酉の年は601(推古9)年であり、その601年を起点に1260年さかのぼった年(紀元前660年)を建国年に選んだ。なお、推古朝の603年に冠位十二階、604年に憲法十七条の制定があった。

(僕)神武天皇即位を紀元前660年とすると、その後の天皇たちが相当な長命でなければ、実在が確認されている天皇までつながらないということは僕も知っていた。紀元前660年、そして万世一系が虚構であることは、少し知識ある者にとっては戦前から知られた事実であったと思う。来年2022年は紀元2682年だ。

「歴史の大きな分水嶺だった元号法制化 天皇が譲位する国で」(2019.4.3)で、1947年5月に改元を規定する旧皇室典範や登極令が廃止されたことによって、1979年の元号法制定まで元号を裏付ける法的根拠はなく、宮内府(のちの庁)の発した通牒「従前の例に準じて、事務を処理する」のみで運用されていたと述べる。

(僕)西暦と昭和は25の加減で置き換えが比較的簡単だったが、平成、令和になり頭の中でゆっくりと計算しないとわからなくなった。特に、令和はなじんでいない。特に新聞などでは元号法があるにもかかわらず西暦表記だ。

「第1章」所収の「個人が尊重されるかどうか国民世論のありかに信頼」(2021.3.12)で、著者は夫婦別姓反対論者の論拠のひとつに、明治政府が大日本帝国憲法と皇室典範を起草する際に、内閣法制局長官の井上毅が、女系による皇位継承は、天皇の姓が変わること(易姓)を意味するとして反対したからであり、姓が変わっては万世一系という観念が崩れる、との呪縛が「別姓を認めればこの国のかたちが変わる」という「この国のかたち」派にあるためと述べる。

(僕) 夫婦別姓反対が天皇制の原理に根拠を持つという論理に納得できる。そして、これほどまでに天皇制が市井の原理に食い込んだ根深いものであるということをあらためて感じた。僕の天皇制に対する考え方は、それが無くても生きていけるというものだ。反天皇制、廃止、打倒などと運動体の言葉で叫ぶようなことはしない。たとえ叫んでも天皇制を無くすることはそう簡単なことではないと考えている。著者の加藤陽子氏からは、天皇制を問い直すためにはもっと歴史的事実に基づいた厳密な理論展開が必要なのだということを学んだ。

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加藤陽子 『この国のかたちを見つめ直す』 その1 日本学術会議任命拒否 総合科学技術・イノベーション会議

2021-12-15 14:43:19 | Weblog

テレビの同一番組の中で、SDGs:「フードロス」キャンパーンを張りながら、一方でグルメと称してお店を訪問、何を食べても「美味しい!」と叫ぶが完食している様子はない。「出されたものは全部食べなさい!」と教えられなかったか?

 

『この国のかたちを見つめ直す』(加藤陽子著 毎日新聞出版 2021年刊) その1 日本学術会議任命拒否 総合科学技術・イノベーション会議  

本書は、2010年以降、毎日新聞に寄稿した短いエッセーを集めたものだ。現在生起している事象を解くためには「歴史」を顧みることが重要であるということを主張している中身の濃い一冊だ。本書には新たに知ることができる事実が多々出現する。このブログに備忘しておく価値ありだ。

周知のとおり加藤陽子氏は日本学術会議の名簿から除外された6人のうちのひとりである。従って、この任命拒否問題を当事者である著者がどう捉えているのか、第一にそれを知りたいと思った。

「第1章 国家に問う 今こそ歴史を見直すべき」所収のコラム「『学術会議除外』と日本の科学技術政策の向かう先」(2020.10.17)で、著者は任命除外された6人がいずれも人文・社会科学系の研究者であることから「世の中の役に立たない学問分野から先に切られた」という一般の見方を否定する。(僕もそう捉えている。)著者が指摘するポイントは、科学技術基本法(旧法・1995年制定)を2020年夏に抜本改正した「科学技術・イノベーション基本法」(新法・2021年4月施行)の制定にある。新法では旧法においては科学技術振興の対象から外していた人文・社会科学を新たに対象に含めたのである。その意味を、この国の科学技術がおかれている現状が危機的事態にあり、「人文・社会科学の知も融合した総合知」を掲げざるを得なくなったのであり、そのため「政府の政策的な介入」を招く事態となったと解く。

(僕)以上から、科学技術振興のために人文・社会科学も駆り出され、それが政府の介入のきっかけになったということはわかった。だが、それがなぜ学術会議の人文・社会科学系の研究者6名の任命拒否になったのかはわからない。

「科学技術政策の適正な舵取りを求めて 科学はボトムアップから」(2020.12.19)で、菅首相が持っている学術会議観はどこで形成されたのかを推測している。菅首相と学術会議会長が同席する会議は、「総合科学技術・イノベーション会議」(科技会議)のみだ。この会議は科学技術政策を策定して予算措置につなげる権限を持つ。その唯一の常勤議員で座長の上山隆大氏はあるインタビューで、「エリート大に研究資金が一極集中し、地方大学は疲弊している」と答えている。これは首相の発言と響き合うというのだ。

また、学術会議の在り方を検討する自民党PTの下村博文政調会長は、「学術会議の代表が科技会議に必ず出てきて意見を反映する仕組みは見直すべきだ。大型研究計画のマスタープランを決定する学術会議の力は過大だとし、事実上4000億円の予算を決めている」と問題視している。これらから著者は、科技会議座長や自民党PTの狙いは科学技術行政全般における学術会議の役割の再定義、科学者の意見をボトムアップ式に集約し政策提言を行う学術会議を排除し、国がトップダウンで重点分野を決める選択と集中による科学技術政策に変更したいという思惑が見えるという。

(僕)ここからは、国にとって科学技術政策の決定にあたり学術会議の存在が邪魔だということがわかった。だが、なぜ人文・社会科学系6名の任命拒否になったのかはわからない。

「学術会議問題の政治過程 世論が政府の姿勢を『変えた』」(2021.6.19)では、この間の3つの動きを跡づける。

(1)自民党PT(下村政調会長)(2020.10.14)では、「①2017年に学術会議が発表した「軍事的安全保障研究に関する声明」は問題だ。②学術会議は国の機関から外れるべき。③学術会議が大型施設計画・大規模研究計画を審議するのは問題だ。」と主張されている。だが、2020.12.9のPT提言には②のみが書き込まれるにとどまった。

(2)10月下旬、河野太郎行革担当大臣は、学術会議事務局費を「秋の行政事業レビュー」の対象にして大幅削減すると報じられたが、実際には対象とならず、前年並みの予算が組まれた。(2020.12.21)

(3)学術会議側も、井上信治科学技術担当大臣と折衝を重ねながら、2021.4に組織の在り方の検討結果「日本学術会議のより良い役割発揮に向けて」を総会で議決した。そして今後は、総合科学技術・イノベーション会議の有識者議員8人(学術会議会長を含む)に委ねられ、月1回の期限を切らない(*重要!)検討が5月から始まった。

著者はいずれも政府からの圧力を学術会議側がよくしのいでいるとし、世論の力が政府の姿勢を『変えた』と評価している。

(僕)以上からは、学術会議問題で菅内閣支持率が急落し、政府の意図どおりに進んでいないことがわかった。なぜ人文・社会科学系なのかという疑問は解けないが、学術会議の「軍事研究反対声明」が政府に与えた影響は大きかったのではないかと推察する。歴史学者、法学者が戦争に前のめりに突っ込んでいった過去の「歴史」を顧みて現状認識を表明することが政府にとっては好ましからざることと捉えられたのだろう。

 

 

 

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2030札幌冬季五輪「反対」 その3 秋元札幌市長不信任

2021-12-04 15:49:43 | Weblog

緊張の糸がぷっつりと切れてしまっている。キシダ公家政権になってから何も動きのない時間が続いている。それに合わせて野党も昼行燈状態だ。アへ、スガだったら何をしでかすかわからない緊張感があった。

 

2030札幌冬季五輪「反対」 その3 秋元札幌市長不信任

このブログに書いた「新幹線延伸時期との不整合」を質問した記者がいました。北海道新聞2021.11.30朝刊、11月29日五輪大会概要案発表記者会見「市長一問一答」(以下引用)

Q.―30年度末を予定する北海道新幹線札幌延伸の五輪開催前への前倒しを期待する声がある。

A.(市長)「30年の五輪前に開業できればベストだが、間に合う見込みを持てる状況にない。(札幌延伸後の)34年五輪を目指せば良いという方もいるが、そこまで新幹線開業にはこだわらない」

驚きの答弁である。市長の発言からいくつか想像できる。①新幹線札幌延伸の30年度末完成が既に不可能な情況にあるのではないか。工事の前倒しはおろか到底間に合わない。要対策土問題などに精力的に取り組まなかったツケが来ている。②新幹線延伸を早めるための国や関係者への働きかけなどをするつもりはないという意思がある。頭を下げて陳情、要望などする気がない。③30年の五輪招致も見込みがないのではないか。だから五輪と新幹線の不整合にはこだわらず、あせるような様子がない。

ここから秋元札幌市長の特徴が見えてくる。彼は良く言えば自然体の人、否、なり行きまかせなのだ。彼には「努力する」という言葉がないのだろう。何としても間に合わせるという気持ちが感じられない。彼は部下ができない言い訳を言っても許すのだろうか。過去に同様のことがあった。ファイターズ新球場では、「出ていきたければ出ていけ」というような発言をして、それが大失政につながった。あの時も、札幌市内で何とかしようという気持ちが感じられなかった。(本当の問題は移転後の札幌ドームの経営だ)

五輪開催は、IOC、JOC、国、組織委員会などが主体、新幹線延伸はJRと国が主体、まちづくりプロジェクトもそれぞれ民間会社が主導していることだから、札幌市は主体となっていないので責任がないとでも考えているのだろう。だれもそうは考えないだろう。まちづくりの総合的なビジョンは札幌市が描かないといけないし、そのための総合的な調整は市の責任においてやらずに誰があるのか。そのトップでリーダーシップを執るのが市長だ。

JR北海道は新幹線延伸を契機として何とか経営改善をしようと努力を重ねている。五輪に合わせることによって乗降客数は増加するだろう。鉄道には公共性があり、札幌市の経済にも大きな影響をもたらすのだから市長にはその経営にも関心をもってほしい。

 

 

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