晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

自爆蓮 『あたらしい憲法草案のはなし』

2016-08-20 21:07:03 | Weblog

 オリンピックと高校野球でテレビ、新聞が占拠されています。いつもは映像でくどいほど流れる防災情報も字幕だけになっています。道内は、この雨で所によっては未曽有の緊急事態になっているかも知れません。国家の威信の前に、私たちの命は霞んでいます。

 

 『あたらしい憲法草案のはなし』(自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合(自爆蓮)著 太郎次郎社エディタス 2016年刊)            

 本書は、このブログとリンクしている愛犬日記(2016.7.13)で紹介されていた。自民党草案と現日本国憲法は、その根っこの理念のところで、考え方がまるっきり逆であることがわかる。現憲法は、国民に主権があることを第一とし、国家権力は憲法規定の規制下になければならないことを謳っている。だが、自民党草案は、国民がお国のために何ができるか、何をしなければならないか、国民は権利を主張する前に義務を果たさなければならないと謳う。

 今あるものの有難味というものは無くなってみないと中々わからないものである。自民党草案のように憲法が変わった場合、僕らの生活がどのようになるのかは、相当想像力が必要となる。今のような規範の乱れた社会と一定のルール化に私権を置く社会のどちらを選ぶのかと問われれば、迷いも生じるだろう。信用のできない国に囲まれる中で、武力と軍事同盟のほかに有効な国を守る方策があるのかと問われれば、それは外交努力だと言い切れるだろうか。

 僕らが、学校で習った日本国憲法の3大原則、「主権在民」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」の全てが脅かされている。

 最初に狙われるのは、9条ではない。9条は昨夏の集団的自衛権で一応決着がついている。僕は、緊急事態条項を提案して来ると思う。危機が発生した時に、国を守れ、国民を守るために、といえば、現在の政党で真っ向から反対する勢力はもはやいない。仮に、北朝鮮に頼んで1発撃ってもらうとか、ISが国内に潜入したとか、でっち上げればアッと言う間に翼賛化してしまうような政治情勢だと思う。国会のコントロール無しで、予算執行、自治の制限、私権が制限される。

 僕の原則は、国家は開かれるべきで、権力は国家から民衆の方に移行した方が良い。国は無くなってもかまわない。野党は、外交に活路を見出せ。国と違うチャンネルを作り、情報源を多元化せよ。必ずオルタナティブな方向があるはずだから。

 

 

 

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佐野眞一 『唐牛伝 敗者の戦後漂流』

2016-08-16 20:09:53 | Weblog

 過日、会社に今回の参議選で当選した女性が挨拶に来た。いわく、「与党の圧倒的多数の国会で限界はあると思いますが、6年間働きたいと思います」と。僕はこの方は自分が議員でいることにしか目標が無く、政治に全く興味の無い人なのだと感じた。先日、地域のお祭りで見かけ、暇そうにしていたので、「野党の活路は外交にしかないと思いますよ」と言ったのだが、キョトンとしていて「何故?」という言葉すら発することは無かった。きっと、僕は人品卑しい変な爺に見えたのだろう。

 

 『唐牛伝 敗者の戦後漂流』(佐野眞一著 小学館 2016年刊)

 プロローグで著者自らが触れているが、佐野氏は3年前に当時の大阪市長ハシシタの出自を暴いて世論の顰蹙をかった。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いを見せていた権力者に対して、反権力の立場から書いたつもりだったのであろうが、多数派による少数派差別のところを踏み違えたため、バッシングにあってしまったのだ。『東電OL殺人事件』を描いた頃とどこか佐野氏の中に感覚の狂いが生じていたのだと思う。

 さて、本書は’60年安保闘争でブントのリーダーであった北海道出身唐牛健太郎の人生をテーマにしているということで興味を持って購入した。だが、著者の「筆の荒れ」と言うか、気になるところが多かった。いつの間にか唐牛の人生がすっ飛んでしまって、周辺の関係者の人生になってしまったり、内容のほとんどが既存の出版物からの引用を巧くつないでいるが、所々にいわゆる上から目線の表現が鼻についたりで、あまり楽しく読むことができなかった。

 著者は、今回は原点に戻って足で稼いだと言っているが、関係者からの聞き取りは上手く運んだとは思えず、口が堅いのは公安のせいにするなどしているが、問題は佐野氏と関係者の間に信頼関係を築けなかったところにあったのではないか。プライバシーに関することは、この書き手は話をしたら相手の事情などお構いなしに書くと思われては絶対に話してくれないと思う。書き手としての責任の取り方が問題だ。

 結局、唐牛のブント後の人生がどのようなものであったか、誰も彼の内面を理解していた人はいなかったということなのか。

 

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