晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

シネマ歌舞伎『二人藤娘/日本振袖始』

2015-01-26 19:41:22 | Weblog

 よど号事件の時、人質を救うため自ら北朝鮮に出向いた政治家がいた。今はイスラム国に乗り込むような野党の政治家はいないのだろうか。そんなことをするのはアントニオ猪木くらいか。イスラエルに行ったことが今回の事件の引鉄になっているのにアへ首相は自らに政治的ダメージが及ばないことだけを考えて逃げ回っている。「集団的自衛権」云々どころでは無く、いざとなった時には、度胸も胆力も無いことを曝け出している。

 

 シネマ歌舞伎『二人藤娘/日本振袖始』(札幌シネマフロンティア 松竹作品)

 『ヤマトタケル』に続いて2回目のシネマ歌舞伎。今回の「日本振袖始」(にほんふりそではじめ)も『古事記』に書かれている出雲の八岐大蛇(やまたのおろち)伝説をもとに江戸時代に近松門左衛門が書き上げた演目である。

 2014年3月、新歌舞伎座の杮葺落(こけらおとし)で上演された演目。坂東 玉三郎が妖艶な岩長姫実(いわながひめ)の姿から恐ろしい八岐大蛇(やまたのおろち)に変身。生贄(いけにえ)としてささげられた稲田姫を救うため、大蛇退治にやってきた素盞嗚尊(すさのおのみこと)(中村勘九郎)と大立ち廻りを繰り広げる。

 演題の振袖始の意味は、素盞嗚尊が八岐大蛇と闘う際に、稲田姫の袖の中に隠し持っていた剣を使った。姫の袖は、剣を隠しておけるほど長いもので、それがこの国における最初の振袖の由来だというものである。

 歌舞伎は、誇張と省略の芸術だと思う。隈取りをするなど顔のメイクで役を強調し、見せ場では衣装の早変わりや見栄を切り、ド派手な演出で観る者を楽しませる。三味線もロックミュージッシャンのように演奏を魅せる。一方、演者のセリフはシンプル、立ち回りもリアリティを追及するより様式美として表現する。誇張と省略により、観客にはシンプルで解りやすく楽しい舞台となっている。

 ちょうど、大相撲の土俵入りや弓取り式、手刀の切り方など見せ方が良く似ていると思う。江戸時代の文化水準は現代以上でだと思う。

 

 

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社員研修

2015-01-21 20:52:39 | Weblog

 社員研修

 会社で「ストレス・チェック」の研修を受けた。3月末で定年の僕にとっては、おそらくこれがこの会社で受ける最後の研修になることだろう。内容は、上司から部下への声掛けの方法であり、相手を傷つけず、ストレスを与えない、褒め方、指摘の仕方、発する言葉の選び方など対人関係のスキルを学ぶことであった。そして、それはそれで有意義であった。

 しかし、僕は研修中から、これはまだ全体の1/3だぞ、あと2回くらいやらないとこの研修は完結しないぞと考えていた。その意味は、吉本隆明のいう「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」と人と人との関係性を3つに分けると、今回の研修内容は「対幻想」だけを対象としたということになる。さらに、「共同幻想」と「自己幻想」の課題が残っていると思う。

 社員アンケートからは、僕の所属するセクションでは個々人の仕事量が多く、ひとりひとりにはストレスがあってきついという結果が得られている。しかし、それと矛盾するようだが、セクション全体の人間関係や雰囲気は良いという結果も同時に出ている。では、この結果をどのように解釈したら良いのだろうか。単純に上司と部下という「対幻想」の次元からだけでは説明がつかないである。もう一つ次元を変えて、セクションを全体としてみた集団としての関係性、いわゆる「共同幻想」に焦点を当てて考えないとこれに対する答えは出てこないのではないかと考える。

 もう一つは、それぞれ個人の次元の問題である。自分自身の中で、自分が自分に対してストレスフルになる場合がある。例えば、思っていることとやっていることのいらだち、自分自身の目標と現実のギャップなど、自分と自分の関係性、いわゆる「自己幻想」についても焦点を当てて分析する必要があると考える。

 今回受けた研修は、第1章であり「上司の部下への声掛け法」=対幻想の次元とすれば、第2章は「ストレスの自己管理」=自己幻想の次元、第3章「ストレスの産まない組織運営」=共同幻想の次元と展開されなければ、中途半端な情況で終わってしまうということになる。

 

 

 

 

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内田樹、釈撤宗 『日本霊性論』

2015-01-18 15:35:52 | Weblog

 先日、チカホにマンモスがいました。

 昨日は町内会の役員引継ぎがあり、何だかんだと忙しかった町内会業務からこれで解放されました。昨日、今日と週末ランをしたいが、何せ今日の最高気温が-7℃と低すぎます。こんな日に走ると後で咳が止まらなくなります。

 

 『日本霊性論』(内田樹、釈撤宗著 NHK出版新書 2014年刊) 2015.1.18

 本書を未だ読み終えてはいないのだが、一冊の本を読んで、ひとつでもこころに残るフレーズ、脳髄に響く言葉、忘れ得ぬ一言があれば、それで充分満足して良いのではないかと思う。

 本書で、内田氏が桑原武雄氏の「一緒に革命ができる人」という言葉を紹介している。(P128~)その人といるとすごく楽しい、いい気分でいられる(革命ができる)ということが、人間を見る基準であると。

 さらに、内田氏は「革命闘争が実現しようとしている未来社会は、今ここに組織された革命党派において萌芽的に実現されている。」「革命党派に集まってきた連中が、権力に対する憎悪とか復讐心とかを動機にしていて、同志と一緒にいるときでも猜疑心の強いまなざしを周りに向けたり、攻撃的であったりした場合、彼らの革命が実現して出現する社会はやはり『憎悪と復讐心』を感情的基礎とする抑圧的な統治システムになる他ない。」と付け加える。

 この無残な例の典型が、このブログで「Red」で取り上げた連合赤軍であろう。どのような理想社会を掲げようが、同志を疑い殺した事実の先に、未来社会を任せる人はいない。

 「一緒に革命ができる人」という観点で、今の政治家を見た場合どうなるか。実際の人柄はわからないのでイメージで判断すると、一緒にやりたくない人としては、橋下徹、蓮舫、石破茂、鈴木宗男、菅直人、小沢一郎といったところか。一方、アへ晋三は頭の出來は悪そうだが、案外と面白い奴なのかも知れない。麻生太郎、小泉純一郎、鳩山由紀夫など少し脇が甘い方が恐怖心を覚えない。

 一方、自分だけが正しい、自分たちこそ正義の味方であると信じているほど怖いものは無いと感じる。日共、党派、オンブズマンらは、腐敗、不正、ミス、矛盾などを許さず、腐敗、不正、ミス、矛盾などの一切ない正しい社会にすることを目標にしていると考える。しかし、暴露、告発、粛清渦巻く社会となる可能性が大きいのではないか。

 では、この観点から上司や同僚、仲間と思っている人、身近な人の顔を浮かべて見ては如何かな。そして僕自身を振り返るとどうなのだろうか。ひとを疑っていないか、信頼しているか、人望を得ているか、自分だけ逃げて仲間を見捨てることはないか。自分には、「一緒に革命ができる人」の資格はあるだろうか。重い言葉を知った。

 

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子どもの頃、僕は(音楽)

2015-01-12 20:58:02 | Weblog

 札幌東急百貨店、地下イートイン「天一」で特製天丼。

 何とか週末ランをこなす。今年のスタートは体重62.7kg、体脂肪率17%。今日は、降り積もった雪の下にアイスバーン、バランスを崩しながらのランニング。俊敏性が落ちてきているので、少し危険。

 アへ首相は、いち早くフランスの言論テロに抗議声明を出したが、北星大学での元朝日記者に対する脅迫には反応なし。

 

 子どもの頃、僕は(音楽)

 僕は、幼稚園にも保育園にも行かなかった。その影響が一番あったのは、小学校に入った時に、全然歌を知らなかったことだ。誰しもが歌える曲を知らなかった。最初から音楽の時間に出遅れ、苦痛を感じた。

 ハーモニカを使い始める時、先生はドの場所に印が付いているからそこを吹きなさいと教えてくれた。僕は、ドレミファの意味がわかっていなかったので、ずっとドだけを吹き続けていた。でも周りと違うことをやっているということには気づかなかった。

 このつまずきは、その後ずっと尾を引き、楽器は弾けない、弾く気になれない、音符も全く読めないでここまできた。音楽の時間やクラス対抗の合唱コンクールなどはほとんど「口パク」で通してきた。今思うに先駆的な子どもだったと思う。

 中学生の時、音楽の授業で一人ずつ前に出て歌う試験があった。皆、照れ隠しに「イよー森進一! 青江美奈!」なんて声をかけながら、苦痛に耐えた。僕はどの高さの音から歌い始めたらいいか、いつも違う。ゆえに巧く音程が取れない。特に満腹の時は、いわゆる音痴だと思う。

 また、大人になってからも、子どもたちの合唱や吹奏楽を聞いても、一度も素晴らしいと感じたことはない。指揮をする独裁者のような教師を見ているだけで腹が立つから。

 以上、全く落ちの無い話になってしまった。

 

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吉本隆明 『「反原発」異論』

2015-01-06 20:20:56 | Weblog

 『「反原発」異論』(吉本隆明著 論創社 2015年刊)

 吉本隆明が亡くなって3年になる。亡くなった直後に追悼ブームがあり、一段落の後、今ブームが再来しているようだ。全集、単行本、講演集、対談集が軒並み出版されている。全集を買う余裕のない、今は買えてももう少しで年金暮らしに突入、1巻6,500円は少し高価すぎる。そこで、古書店から数百円の古本を買ってきて読んでいる。

 2011年の正月以来4年間、遅ればせながら僕は吉本の言説をなぞりながら、自分の考えを整理したり、再考したりしている。そこで感じるのは、今の書き手の浅さ、軽さである。トリック的な言説、逆説的な物言いは、何か肌に合わない。僕らは吉本の世代に対して届かない世代かも知れないが、時代遅れかも知れないが、吉本の言説は厚み、深みがあって信頼できるなあと感じている。

 さて、この度『「反原発」異論』が発刊され、久々の新刊購入、そして読破。結論から言うと、これまで僕がこのブログで原発について述べてきたこと(以下に部分引用する。)は、本書を読んでも変わらないし、それどころかより確信を深めることができたのである。

 この国の電力会社の体質は最悪、最低だと思うが、福島第1原発での試行錯誤は、寿命が来て廃炉にしなければならない原発が多数ある中、最先端の技術開発であり、今後世界中で活用できる技術だと考える。

 2011.3.11以降、僕が言及してきた内容は以下のとおりである。

 事故直後の2011.3.19に「技術と人間」では、「1981年12月9日、北海道電力泊原子力発電所1,2号機第1次公開ヒアリングが北海道における原子力発電への端緒だったのであるが、旧泊中学校体育館の周辺を「実力阻止!」を叫びながらデモっていた」「今の私は、技術への懐疑、迷いはあるのだが、思考のベースには、超常現象などを否定する合理主義、神を必要としない現実主義、人間の歴史に信頼を置く進歩主義がある。」と書いた。

 2011.9.18の『福島の原発事故をめぐって』(山本義隆著)では、「私は、安易に後知恵で語るものを信用しない。今回の事態を基に技術に関わる者は徹底的に考えるべきであろう。特に、遺伝子や臓器移植、脳科学、クローン技術などの生命科学、原子力、核融合などエネルギーなどの先端分野では、安易に「人間に許された限界」(倫理や神)を設けるのではなく、人間と自然をどう捉えるかという観点から思索し続けるべきであろう。」と書いた。

 2012.3.19『反原発の思想史 冷戦からフクシマへ』その2(絓(すが)秀実著)では、「日共は、2011.6.13志位提言において初めて「脱原発」へ路線を変更」。科学的社会主義の党是では、原子力エネルギーを資本のもとではなく、近代合理主義的科学技術によって自分たちが民主的に管理すれば安全は確保できる。原子力の平和利用を限定付きとはいえ認めていた。ただし、軍事的な転用には反対の立場であった。それが福島の事故が発生してから転換、6月になって俄かに脱原発を主張し始めた。何と言う大衆迎合主義、情況主義か。」と書いた。

 『震災後のことば 8.15からのまなざし』(宮川匡司)では、吉本氏の発言(2011.6.17)として、「発達した科学技術を、もとへもどすっていうこと自体が、人類をやめろ、っていうことと同じだと思います。」を取り上げいる。(本書所収)

 そして、「私は、3.11後俄かに原発反対を叫びだした輩が一番信用できないと思っている。私も理系出身であるので、技術の欠陥や未熟は人間の知恵で克服していかなければならない、という原則は持ち続けなければならないと思う。今回の原発事故事態には、商売としてやっている電力会社やそれと一体の規制省庁による人為的、経済的要因が絡んでいるのはもちろんのことと考える。

 私には、自分の持続力が無かった反省を踏まえて、30年前から原発反対の姿勢を変えていない人については尊敬するものである。繰り返すが、日共のように震災後6月になってから原発廃止を主張しているのは論外。

 現在の東電や政府、大学などの研究機関が、安全な原発を作り出せるかどうかはかなり難しいと考えるが、自分を含む人類を信頼しているとすれば、必ずや原子力を100%制御できる技術が開発される時が来る、それに向かって進むべきと考える。」と書いた。

 2012.7.22「脱原発の風景」で、「私は、この原子力発電を含むエネルギー問題の底には大きな問題があると感じている。今は、仮説を試みるしかないが、原発事故後あれほど騒いでいた地球温暖化が全く聞こえなくなった。そこからは、「温暖化防止=原発推進だった」という仮説が成り立つ。

 言われている脱原発の方法としては、太陽光、風力、水力などの自然エネルギーを増やすというものであるが、それらだけではとうてい必要なエネルギーを賄うことができない。どうしても原油や天然ガスに依存する火力発電に比重がかかる。しかし、火発は、大気汚染の問題を引き起こす。また、原料の供給が不安定である。

 シリアを巡って現政権維持のロシアと反政府組織を支援する米国、反米のイランを制裁したい米国、中東有事になれば、原油が高騰し、電力料金も跳ね上がるであろう。それにも関わらず17万人の方々は、何があっても未来永劫脱原発なのだろうか。

 私は、放射線の研究はもっと進めるべきであり、人間の制御能力はもっと高まると考える。また、利用の可能性も医学や考古学などの他、もっと広がるのではないかと考える。さらに、原子力発電も、核分裂による熱で水を温めタービンを回すといった原理ではなく、例えば、核分裂自体から電子そのものを取り出し電力に変換するといった原理(可能かどうかはわからないが、現状と違う原理を見出すことが重要と考える。)、根本から発想を変えてみるべきではないかと考える。」と書いた。

 

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子どもの頃、僕は

2015-01-02 17:15:47 | Weblog

 子どもの頃、僕は

 本日、走り初め、快晴で日差しは強かったが午前中の外気温-5℃。足を止めると身体が冷えてくるので走り続けなければならない。走行距離約7km。

 休みが続いていると、慌ただしい日々には考えることも無かったことが、次々と浮かんでくる。心のリハビリテーションになっている。

 

 ふと、子どもの頃のことを思い出した。小学校に入る前、勉強机を買ってもらう前だが、台所の食器棚の引き出しのひとつを自分用にもらった。そこには、大切なものをしまっていた。

 ひとつは、近くで拾ってきた岩のかけら。石ころの一部が金色に輝いていたことから、僕らは、これは金に違いないと思っていた。これを売ったら大金持ちになれると確信していた。今から考えるとおそらく、黄鉄鉱の結晶ではないかと思う。

 僕らはまだ字も書けないのに手帳を持っていた。猫退治手帳と言っていた。残飯をあさって食べる野良猫がたくさんいて、猫退治を遊びにしていた。道営住宅のアパートにはコンクリート製の大きな共同のゴミ集積所があり、1か月分くらいの生ごみを捨てていた。収集は月1回だったと思う。回収が終ったあとホースで水洗いとDDTを撒いた。ネズミがたくさん住んでいたので、猫も多かったのだろうと思う。

 大相撲の星取表の載った油まみれの新聞。昭和34,5年頃は、野球と相撲しか無かった。大鵬も柏戸も出てくる前で、北葉山、明武谷、若秩父、岩風、出羽の花などの名前を思い出すが、確か15連敗したはずだが清ノ森という力士を覚えている。

 あとは、ビー玉、パッチ、サイコロ、ちびた鉛筆、味の素の缶。グリコのおまけはもう少し後のことだったかも知れない。

 僕は、幼稚園も保育園も行かなかったので、毎日近所をウロウロ、ウロウロしていたと思う。

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新しい年を迎えて

2015-01-01 16:25:34 | Weblog

新しい年を迎えて

 このブログに立ち寄っていただきありがとうございます。このブログを立ち上げたのが2006年4月ですから、8年9か月続いております。近年になって訪問者数が減っていますが、ブログという表現手段が時代遅れになってきた、ツイッターなど新しい他の手段に移ったとも思っていますが、何よりこのブログの内容が楽しくない、くどくどしく結局何を言いたいのかよくわからないなどが原因なのではないかと思っています。しかし、このブログは、人気ブログを目指しているのではなく、自分が日々感じたこと、考えたことのノオトみたいなものですので、自己満足的にもう少し続けてみようと思っています。

 昨年は、①年間ランニング距離を前年より延ばすこと、②ハーフマラソンを4本以上走ること、③札幌以外の大会に出ることを晴走的目標に掲げましたが、①は達成できましたが、②は2本のみ、③はどこも行くことができませんでした。今年は、現在の会社を定年退職し、4月から職場環境が変わることから、何とも言えませんが、①年間ランニング距離は前年より延ばすこと、②、③は引き続き目標に掲げておきたいと考えております。④このところ故障が続いているので、体幹を鍛え、また俊敏に動けるように練習したいと思います。

 雨読的には、①主語を今までの「私」から「僕」に変えようと思っています。これまで「私」を使ってきましたが、少し硬い、正論ぶっていると感じていましたので、「僕」にして、少し柔らかな感じにします。②ランニング以外の新しいことに挑戦したいと思います。講座に通うとか、読書会をやるとか、句会に参加するとか。

 俗論に流されず、自分で自分なりに考えていきたいと思います。

 さて、このブログとリンクしている愛犬日記に主人公のヤマト君が年末の29日に亡くなったことが書かれています。枕もとを離れない愛猫HAL君の姿が印象的です。人生のある期間同伴した存在がいなくなるという欠落感は中々埋めようがありませんが、これから先は時々心の中で思い出すことが大切だと思います。人は愛憎入り混じりますが、犬は飼い主に嘘をつかずいつまでも純心ですので、いい思い出だけ残してくれると思います。謹んでヤマト君のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

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