テレワーク化が進み都心の広いオフィスが不要になったため電通や日本通運が本社ビルを売却するという。他の企業もこれに続けば、大都市における不動産価格の暴落の始まりになる。企業が保有する資産価値は減少、金融機関が不動産を担保に融資していると・・・いつか見たバブル崩壊時の景色に似ている。
『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』(ジェームズ・C・スコット著 みすず書房 2019刊)⑦ 「国家を考える」ノオト その9
『第6章 初期国家の脆弱さー分解としての崩壊』(P169~P198)から学ぶ。
(著者)この章で、「崩壊」は「分散」を意味するキーワードになる。「崩壊」ということばは、通常は初期国家が衰えていくという文明の悲劇、ネガティブな意味で使われる。しかし、実際には国家が分解して元々小さな定住地に戻っただけのことであり、「分散」というポジティブなことばを使うべきだ。「崩壊」の内実は、大きいが脆弱な政治単位(国家)から、小さな安定した要素への「分散」であり、必ずしも悲観的なものではなかった。政治秩序の単位は大きい方が小さいよりいいと決めつけるのはよくない。
以下、初期国家の脆弱性の原因を説明する。
(著者)初期国家の脆弱性に関する外生的原因としては、干ばつや気候変動がある。だが、重要なのは農業が持つ内生的原因である。具体的には、①作物と人と家畜(およびそれに付随する寄生虫や病原菌)の集中によって伝染病が流行した。②都市化で森林破壊が進み侵食によるシルトの堆積によって洪水を招いた。③集中的な灌漑農業によって土壌が塩類化し収穫量が低下、それが耕作放棄に繋がった。
さらに、人びとの交易に伴う移動、戦争による軍隊や難民の移動が伝染病を拡げた。戦争のためにマンパワーを軍事的な防御へ振り向けたことも国家の弱体化に繋がった。以上のような原因によって、国家が押しとどめようとしたにも拘らず人びとは田舎に散らばろうとした。
(*僕)今の時代、効率化のために集中するという考え方が主流だが、このコロナ禍であらためて「分散」という考え方が浮上したと考える。三密回避、時差出勤、テレワーク、田舎への人口移動と分散化傾向が見られる。
(通説)国家への人口集中を文明の勝利として見る一方で、小さな政治単位への「分散」を政治秩序の機能停止や障害として捉えている。国家の「崩壊」は、それに伴う多くの死亡者や人間悲劇を暗示する。また、それは狩猟採集や遊牧といった原始的な生業形態への退行であり野蛮と暴力への転落だとする。
(著者)国家の「崩壊」は、有益な政治秩序改革の始まりとして見るべきだ。都市を放棄して田舎へ逃げ出すことで人命が救われたケースも多い。「分散」は、戦争、課税、伝染病、凶作、徴兵からの逃避。すなわち国家の放棄は解放として経験された。
最後に著者は、これまでの論理展開をもとに重要なことを述べている。(以下引用)(P198)「分散化は、国家が課してくる負担を軽減するだけでなく、ある程度の平等主義の先駆けの可能性すらあるのではないだろうか。最後に、文化の創造を、頂点である国家センターとだけイコールで結ぶ必要性はない。だとすれば、脱中央集権化と分散をきっかけに、文化的創造の再定式化と多様性が進むこともあるのではないだろうか。」
(*僕)著者が言わんとしている社会のイメージが見えてくる。国家という枠組みを前提にした人間活動の集中的な取り組みは、効率的ではあるが脆さも内在しているからだ。「国家の否定」によって、平等社会、文化の創造、多様性社会の実現が可能になる考え方を示唆する。