『閉塞感のある社会で生きたいように生きる オルタナティブ大学で学ぶ』(シューレ大学編 東京シューレ出版 2010年刊)
ひとつの試行の記録である。本書には、シューレ大学という既存の制度に位置づけられない大学、そこに集う人々の思いが詰まっている。ここの学生達は、自己肯定感を得られにくいこの社会での生き難さを共有している。
学ぶとは何か、研究とは何か、自由とは何か、と問う「自分研究」から出発し、自分と他者の関係を捉え、実践の中で変えていく。その間の心情が吐露されていて、読み手に共感をもたらすものである。
オルタナティブ的な大学の例としては、かつて東大の宇井純らによる反公害の「自主講座」、他大学の聞きたい講義を勝手に聴講する「ニセ学生」などの運動があった。シューレ大学とそれらとの違いは、今の時代を典型的に表していると思うが、シューレ大学は社会的な視点からというよりも、「自分自身」の見つめ直し、自分と他者との関係を中心としている。
シューレ大学は、ひとつの例であるが、今を生きる人々がこのような居場所(場)を求めていることは確かなことだと思う。
そこで、私の思いつきだが、公的な図書館にはお金を掛けて標準的な図書がずらりと整備されているが、それに対抗するオルタナティブ図書館を夢想した。家庭にある愛書の寄贈による図書館である。子どもの少なくなった学校の教室が2つ3つあればできる。親が亡くなって行き場を失った本たち、増えすぎて置き場が無くなった本たちを集めて図書館を作るのだ。
本のクリーニング、修理、分類、登録をしてスタート。おそらく集まる本は玉石混交状態であろう。他の人から見れば価値を見出せない本も、少ない人であっても何か感じることがあればよい。ひとつだけルールを設けたい。読んだ人は、出来る限り感想を本に添えて戻してもらうのである。それをきっかけにして、読書会とかが発生し、自然にまかせていけば、人と人とのつながりに発展できる。掛かる経費は?金は天下の周りもの、何とかなるであろう。どうでしょうか。