ようやくWBCの大騒ぎが終ったようだ。サッカーワールドカップと同じテイストがした。今のテレビ番組からワイドショーとバラエティとスポーツを除いたら何が残るのだろうかと思う。新聞も売れなくて経営が崖っぷちにあるが、テレビも若者にはすでにそっぽを向かれている。マスコミは人気の就職先だがこれからはどうだろうか。僕は、絶滅危惧種のように見えるが独自の姿勢を貫く小さな出版社の仕事に希望を持っている。
〈私〉とはどのようなものか その2 採用試験 履歴書
(その1)では、世界は私とともにあり、私とともに終わるだろうと書いた。私は、舞台の主役であり、私を囲む人たちは私劇場の登場人物にすぎないのだと。だが、私は広大に広がる砂丘の中のたったひとつの砂粒のような存在の思えるとも述べた。
(その2)かつて働いていた頃に社員採用試験に携わったことがある。受験者の合否を判断する材料は、履歴書、健康診断書、志望動機などが書かれたペーパー、そして筆記試験と短時間の面接だった。これらから受験者がどういう人物かを判断し、雇い入れることが会社のメリットになるかどうかを決めるのである。もちろんこれは受験者の人生をも左右する責任ある業務だった。
承知のとおり履歴書には、氏名、年齢、性別、出生地、出身学校、職歴、賞罰、課外活動、趣味などその人の係るアウトラインが書かれている。健康診断書からは、職務に耐えられる身体状況かを判断する。志望動機のペーパーからは、職務に対する関心、意欲、さらに論理構成力、誤字脱字の有無などがわかる。常識試験や専門試験では知識の取得状況、面接では人物評価を行う。だが、僕は、これらの手続きを進めてもその受験者のことをほとんど把握できなかった。みんな仕事に前向きで、情熱を持っているように見えるし、面接試験対策などしっかり準備してきていた。よくわかなかったが、決めなければならなかった。「〈あなた〉とはどのようなひとなのか」という問いに答えは得られなかった。
立場を逆転してみる。もし僕が受験者であったなら、私とはこういう人間なのだということを伝えきれただろうか。僕も気合を込めて自己アッピールをしただろうが、採用する側は僕の一部分しか掴むことはできないだろう。この方法では「〈私〉とはどのようなものか」ということを伝えることができないということだ。
〈あなた〉とはどのようなひとなのか、と問うてその答えは中々得られず、であれば反対に〈私〉とはどのようなものか、と自分に問うたとしても〈あなた〉のことすらわからないのであるから、まして〈私〉のことなどそう簡単にわかるはずはない。