カウンセリングの会報を読んでいて、ある寄稿文に目が止まりました。
知ってる方だったので、余計にかも知れません。
65歳のご主人が重症のくも膜下出血で手術され、
手術中は“寝たきりでもいい、話せなくてもいい、ただ命さえ助かれば”
と願ったが、無事終わると“いつ意識が戻るか”
目が開いたら“話が出来ますように”
次々欲が出て期待してしまうと、ご自分の気持ちを素直に書かれた文章です。
リハビリに通いながら、普通に歩けるし、会話もできるが、記憶が5分も持たない
という後遺症があるとか・・・
「私には夫が生きてくれている値打ちは十二分に感じられているが
過去から現在、そして未来へと続く記憶の積み重ねがなく、“今”
だけを生きている夫に、それで幸せ?とふっと思う。」
と、書かれています。
そして、最後の一行
生きる値打ち何であるのか、それは死ぬまで分からないだろうが、問い続けていこう。
この文章を読んだ昨日から<生きている値打ち>という言葉が
今日も私の頭の中で響いています。

知ってる方だったので、余計にかも知れません。
65歳のご主人が重症のくも膜下出血で手術され、
手術中は“寝たきりでもいい、話せなくてもいい、ただ命さえ助かれば”
と願ったが、無事終わると“いつ意識が戻るか”
目が開いたら“話が出来ますように”
次々欲が出て期待してしまうと、ご自分の気持ちを素直に書かれた文章です。
リハビリに通いながら、普通に歩けるし、会話もできるが、記憶が5分も持たない
という後遺症があるとか・・・
「私には夫が生きてくれている値打ちは十二分に感じられているが
過去から現在、そして未来へと続く記憶の積み重ねがなく、“今”
だけを生きている夫に、それで幸せ?とふっと思う。」
と、書かれています。
そして、最後の一行

生きる値打ち何であるのか、それは死ぬまで分からないだろうが、問い続けていこう。
この文章を読んだ昨日から<生きている値打ち>という言葉が
今日も私の頭の中で響いています。
