何度か時代遅れだとか、いろいろ非難をさせていただいていますが
今日大阪に出張に行く際にロバートホワイティング著の「世界野球革命」
という本を読んでいまして気づいたことが・・
この本、日米の野球とベースボールの価値観や文化の違いについて「ガイジン」
の立場からシニカルにかつ軽妙に客観的にいろいろ書いているのですが
その中で高野連のメンタリティについて納得できる部分があり
思わず「なるほどなあ・・」と思ってしまいました。
日本の野球はもともと精神修養の一環として「野球道」とでも言うべき
価値観からスタートしており、発祥は一高野球部だそうです。
その後大学野球や高校野球にその考え方を広げてゆき今日の日本独自の
野球という国技を確立させてゆくわけですが、プロ野球なんてもんは
ずいぶん後にできたものでお金を稼ぐために野球をするというのは
卑しいもんだという見方が長い間続いていたようです。
確かに娯楽をエンターティメントと称してきちんとした見方にするように
なってきたのはこの30年くらいの間ですよね。
そういう意味では確かに高野連の言っている趣旨は一環しています。
「精神修養の場にゼニカネを持ち込むなんて問題外である」
というのは確かに「野球道」ではごもっとも・・
野球界というのは我々が思っている以上に古い体質が
残っている世界(ある意味最後の牙城)だということだけは
よく理解できました・・・
この本を読んでいると体質が古いのは高野連だけでなく
プロも含めた野球界全体なんだなあということがよく理解できました。
今日大阪に出張に行く際にロバートホワイティング著の「世界野球革命」
という本を読んでいまして気づいたことが・・
この本、日米の野球とベースボールの価値観や文化の違いについて「ガイジン」
の立場からシニカルにかつ軽妙に客観的にいろいろ書いているのですが
その中で高野連のメンタリティについて納得できる部分があり
思わず「なるほどなあ・・」と思ってしまいました。
日本の野球はもともと精神修養の一環として「野球道」とでも言うべき
価値観からスタートしており、発祥は一高野球部だそうです。
その後大学野球や高校野球にその考え方を広げてゆき今日の日本独自の
野球という国技を確立させてゆくわけですが、プロ野球なんてもんは
ずいぶん後にできたものでお金を稼ぐために野球をするというのは
卑しいもんだという見方が長い間続いていたようです。
確かに娯楽をエンターティメントと称してきちんとした見方にするように
なってきたのはこの30年くらいの間ですよね。
そういう意味では確かに高野連の言っている趣旨は一環しています。
「精神修養の場にゼニカネを持ち込むなんて問題外である」
というのは確かに「野球道」ではごもっとも・・
野球界というのは我々が思っている以上に古い体質が
残っている世界(ある意味最後の牙城)だということだけは
よく理解できました・・・
この本を読んでいると体質が古いのは高野連だけでなく
プロも含めた野球界全体なんだなあということがよく理解できました。