二条城
2017-01-31 | 京都
久々に暖かかったので京都まで行きました
何でも二条城にて狩野探幽率いる狩野派による絢爛豪華な障壁画の数々は、桃山文化を今に伝える貴重なものばかりが見れるそうなので、行ってきました。
しかし、正門が工事中で北大手門から入りました
やっぱりここでも、外国の方が多いです
日本人30%欧米人10%アジア系人60%ぐらいです。
やたら中国語??が聞こえてきます。
二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3年(1867年)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行ったところです
ここに来たのは何年ぶりだろう?
小学生ぐらいの時だった。45年前??
いったい自分は何をしていたのだろうと思います
さすがに中の障壁画は撮影禁止だったので載せることが出来ませんでしたが、京都に行った時は訪れてくださいね。
つづく
読み終わったら、ボチッと押してくださいね
何でも二条城にて狩野探幽率いる狩野派による絢爛豪華な障壁画の数々は、桃山文化を今に伝える貴重なものばかりが見れるそうなので、行ってきました。
しかし、正門が工事中で北大手門から入りました
やっぱりここでも、外国の方が多いです
日本人30%欧米人10%アジア系人60%ぐらいです。
やたら中国語??が聞こえてきます。
二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、幕末の慶応3年(1867年)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行ったところです
ここに来たのは何年ぶりだろう?
小学生ぐらいの時だった。45年前??
いったい自分は何をしていたのだろうと思います
さすがに中の障壁画は撮影禁止だったので載せることが出来ませんでしたが、京都に行った時は訪れてくださいね。
つづく
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