1円50銭 8円8銭
姦淫
ソビエトの満州侵攻
特殊婦人『問診日誌』
日本兵の度胸試し。『刺突訓練』村ごと,子供ごと、爆破。
赤ん坊を谷底に捨てる。「可哀そうだなぁ」と思うが五分で忘れる。戦場心理。
黒川開拓団。満州人が暴徒と化して襲ってきた。ロスケ。
『集団自決』。刺しつ、刺されつ。
『性接待』。若い女性たちを差し出す。ソ連兵から守ってもらう。開拓団の幹部が人数を頼んで回る。 減るもんじゃなし。
王道国土の夢を見て過ごした日々が恥ずかしい。
時間で区切らないかん。人生。
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戦争の話を経験者から直接聞く事の危険性というモノを一番強く感じました。実際目の前で起きた悲劇について、それを見た人の口からじかに聞く事の危険性。それが真実だ、という圧倒的に信じ込ませるその力の危険性。
証言をされた方はいずれも、言葉を慎重に選んでおられたようです。なるべく私情が入り過ぎないように、勧善懲悪的誘導が含まれないようにと、証言の内容には戦争の是非についての明確な答えは含まれていません。でもそこがものすごく危険だと感じたのです。
データから結論をまとめて、理路整然とお話になる、ディテールは細かいが罪のない専門家のお話とはまったく逆の、端的に現状のみを語った、焼き鏝を押されるような是も非もない苦痛を伴う非常に危険なお話。あの方々の証言は、戦争の本質から、むしろ人の目を逸らさせる危険があると書くと、怒られますかね?
戦争の犠牲になったのは、本当はだれなのか、戦争を引き起こす本当の理由は何なのか。
戦争は精神のバランスが崩れた状態。戦争が精神のバランスを崩す。バランスを崩した精神が戦争を引き起こす。
もし本当に戦争を失くしたいのならば、もう金輪際、人は人の言う事を聞いてはダメです。信じてもダメです。とにかく団結しちゃダメです。そして一人一人が、自分の事だけを、刹那的にではなく、今一歩、将来に踏み込んで考える事が出来れば、それは戦争を失くす、とまではいかなくとも、戦争から意識を遠ざけ、戦争を想起させる概念を有耶無耶にして、戦争を起こす原動力を細分化して、結果、諦めさせる事になるのです。
要は戦争する事を、諦めればいいんです。諦めるしか、ないと思うんです。
一人の戦争をしたくてしたくてどうしようもない人間が、その胸の内を、どこかで誰かに打ち明ける事からすべての戦争は始まるのです。
『安倍やめろ!』というステッカーをそこここでよく見かけましたね。安倍政権。憲法改正といい、ヘリ輸送型護衛艦の建造といい、日本は着々と戦争をできる国に代わりつつある。 でも支持率は低くない。
国民が政治に無関心だと、政治家にいいようにやられて、気が付くと日本は軍事大国に逆戻りしてしまう。そうならないためにも、我々国民がしっかり政治に関心を持ち、政府を見張って意見を言える体制を整えていないといけない。いまこそ、power to the people.国民は一致団結しなければならない!
戦争に関心を持った人たちが、これ以上政治に関心を持たないように気をつけましょう。私はそれより、税金に腹が立って腹が立って仕方がありません。前年度の年収に合わせて次年度取り立てる。一見良さげ。しかし怪我を理由にやむなく職を離れ、現在、治療に専念する無収入の人間からもルールですからと容赦なく取り立てる、制度上だけの平等。それに腹が立って腹が立って。
それと比べたら安倍政権が何しようと、北朝鮮がミサイル打とうと、正直あまり興味もありません。戦争になど、何の興味もありません。
『あなたの心に、今の北朝鮮のミサイル問題などに絡み、防衛戦争やむなし、というような考えが、もし少しでもあれば、あなたは戦争賛成論者です』と、どこかで見かけました。 まったく村八分の発想です。
私は思うんです。戦争は永遠になくなりません。まして、マンパワーなんてものでは、絶対になくせません。徒党を組んで何かをやるという発想そのものを退治しなければ、ムーヴメントそのものを完全排斥しなければ、戦争は根絶できません。大きな力には、大きな力で対抗しなければならないという発想そのものを、一人一人の心から、完全に滅却しなければ、戦争はなくなりません。目の前にいる人間が仲間であるか敵であるかと二択する悪癖を本能からも完全に駆逐した時、戦争のない世界がやってくるのだと思います。いつまでも甘えたことを言って堂々巡りばかりしていてはいけません。戦争は理屈でやるのじゃないんです、本能レベルの出来事なのです。理性が本能に打ち勝つには、理屈でモノを考えていてはダメなのです。
でもそんな世界が理想でしょうか? じゃあ人間の未来は絶望的でしょうか? だから、何故二択するのです??
破線の上に書いたのは、私がこの番組を見ながら耳に残った言葉です。なにぶん、子供たちが遊ぶ声が余りにも健康的で溌溂として大きくて、ところどころ聴き取れなかったので誤解している部分もあるかと思います。
実際に性接待をした方がインタビューに応じておられました。「開拓団のために、自分が出来る事をやらなければ。生きて帰る事が何よりも大切」そう思って、耐えました、とおっしゃってました。それは今ご存命でおられる事の言い訳では、決してないんです。 あの方が生きておられるのは性接待に応じた結果ではないのです。生きる本能が選択した的確な判断の結果なのです。それであの方は生きたのです。身を開かずに射殺された女性の判断を的確でなかったといっているのではありませんよ。まさかそんな勘違いはされないと思ってますが……。
今日はそろそろ風呂に入って酒を飲む時間になりました。膝の裏は相変わらず痛く、半月板は、コリコリと音を立てるようになりました。多分、悪化しております。2月まで延期された次の検査までに、どこの病院に行こうかと迷っております。
息子は今、母親と折り紙に興じております。リアル折り紙。めちゃ難しいんです。難しい、難しいと、ブーブー文句を言いながら、そうしてせっせと生きる選択をしております。それが私をこの上なく幸せにしているのです。この一見関係のない二つの選択が、金剛珠玉の幸せを生み出しているのです。二者択一みたいな雑な事、これから先の一生、いっぺんたりともやりたくありませんね。私は。