妻と買い物に行ってました。この買う、という約束事。
完全に精神に染みついてますね。買ってくる。お金を払うと、いろんなモノが手に入る。恐ろしいシステムを考えたもんです、人間は。デビルマンじゃないけど、悪魔の力を身に着けたようなもんです。
だからこのままだと、悪魔になり果ててしまいます。しかしデビルマンはなぜ、悪魔にならずに済んだのでしょう。そして悪魔から裏切り者として命を狙われるも、なぜ正義のヒーローとしていられたのでしょう。
それは、デビルマンがある事に気付いたからです。それは、人の愛、その優しさ。
人間は、悪魔の力を手に入れて、お金をつくり出し、人の心の奥底までそれで支配する事に成功しました。ちょっとニヒルを気取りやがる、何処にでもいる、小心者のいちびった野郎は大概こんな事を言います。
「世の中金がすべてだよ。金さえあればなんでもやれる。人の心だって、命だって買える」なんつーてね。
典型的なボンクラです。金を理解しないこと甚だし。金の恐ろしさは、そんなオチョケた理由ではないのです。
金の本当の恐ろしさは、その残酷さの反動として、無償の愛や優しさを人間に植え付けるところにあるのです。本来絶対的な力が、単に悪魔の力に対抗する抑止力の様に、雑に扱われるところにあるのです。だから愛や優しさに幻滅すると、人はその反動として、すぐ悪魔の力に縋ろうとするようになりました。あの有名な小説『金色夜叉』の寛一も、その力に勝てませんでした。
悪魔の力など、人の愛とその優しさに比べれば何のことはない。取るに足らないちっぽけな力だというのに。
高貴で立派でありがたい、GRATEFULな力を、たかだか悪魔の力ごときにあてがうなんて。牛糞の団子を純金の盾で避けるようなものです。牛糞など浴びても本当はさしたことはない。だがそれが怖いばっかりに、純金の盾を使う。
立派と言われるさまざまな宗教の聖人たちも、悪魔と戦うのに愛や優しさを武器にしろだなんて、残酷な事を説いたものです。牛糞団子は、そのまま乾かして、燃料として使えば温かく過ごせたんですよ。
お金を使って、本来の人の愛、優しさを示せば、もとより悪魔は手も足も出なかったんですよ。 まやかしに踊らされた歴史でした。それも今日で終わりにしましょう。
そういう願いも込めて、晩御飯の買い物に行ってきました。極力安い材料を選びつつ、息子が喜ぶ晩御飯の材料を買う。その瞬間、お金はぽっと燃え上がり、夕餉を明るく照らすのです。
中国の五つ星ホテルで、掃除人が便器とコップを同じブラシで洗っていたらしいですね。完全に悪魔の力にしてやられてますな。
やっと顔が見えた。凍えるガルペ。あきら100%みたいにナンバーを隠してみました。