どうかしてるよ、お相撲さん。
私はもともとそれほど大相撲に興味があったわけじゃないけど、力士が素行不良なんて、日本人としては気分最悪ですね。ん~、レイシストと言われるかもしれないけど、やっぱり日本の礼儀礼節は、なかなか外国で生まれ育った人には理解できないのかもしれないと思いましたね。
お国柄って、頭で理解する部分と、肌感覚で理解する部分が、きっと何処の国にもあるから、言葉は巧みになっても、その国の人間になる事とは、全く別問題なのかもしれないと思いますね。一連の報道を見てると。
頭でわかってても、でも、ちょっとぐらいいいじゃん。という事が、例えば日本人には 甘え、精神のゆるみ、とうつる事が、他の国の人にとっては、許し、であったりするのでしょう。規則だから絶対というのは確かに、人間味がなくてダメだと思いますし、厳格という意味とも違うと思います。だから結局ルールはルールとして、それをどれぐらい遵守するかは、個人の資質、育った環境などで、判断するかしないかしかない事なんだなぁ、と思いました。
でも、車の運転に関しての勝手な判断は、おそらくどこの国でも駄目でしょう。人を殺してしまうかもしれないからね。
まあ、飲酒運転なんかと比べれば、無免許運転の方がまだましかなと思うけど……。と、これこれ! これが、甘え、か 許し、の違い。
大相撲か……。日本の国技。元々は品位品格を伴った神事。国家安寧、五穀豊穣願い粛々と執り行われた神聖な儀式。
だがそれが見てるとなんか面白そうだなと、門前の小僧が騒ぎ出して、何を騒いでるんだと大人たちが見ると確かに面白い。門前にはだんだん人が集まるようになり、こりゃお札を売ったら儲かるかもしれないと、ご利益札を買ったものだけが、境内で見られるとすると、瞬く間に話題になって、お札、お札と、大行列。
あぁ、こりゃ、正月節句だけでは、もったいない。年六場所にしましょうか。力士をもっと増やしましょうか、なんなら個人戦じゃなく、藩ごとに部屋を作って団体戦としてやりましょうか。そうすれば噂を聞いた地方の人たちが全国から押し寄せて、お札がもっと売れましょう。
と、それが殿様の耳に入って、何なら、わしも見てみたい。是非わしの藩でもやってくれ、と全国から引く手数多の大人気。強い力士はその浮世絵が、昇り旗が、手形が、サインが、飛ぶように売れる。
潤沢な資金を得ようとも、神社からは年貢は取れない。金はいつしか権力になって、世の中に大きな影響を及ぼすようになる。殿様はしょせん人間、だが力士は、神に奉納する神事のために選ばれし侍たち。神と対話できる特別な存在。それは、ほぼほぼ神。 人にして注連縄を付ける事を許された、日本人の信仰の対象としての生ける神。『横綱』
こう思ってみると、権威が問われるのは最初の一行だけで、あとは浮世の泥にまみれてる気がしますけどね。
この先、大相撲をどうしたいのか、良し悪しは別として、明確なビジョンを持っていそうなのは、貴乃花親方だけのように見えますがね。
でも、そんな感じで、今までも進化、変化してきたんじゃないの? 大相撲って。 知らんけど。