宇和島YHで皆さんより早く朝食の準備をしていただき7時過ぎには出発できました。前夜の予報では雨と言うのですが日が照って居てホットして出発できました。一時間半で41番龍光寺へ到着。空が曇り始めてャcリャcリと雨粒が感じられます。降りだす前に少しでも先へとペダルを漕ぐ足にも力が入ります。次の佛木寺でついに降りだしました。お参り後雨具装備第一防水ウインドブレーカーを着ました。そのとき悠然と朝刊を読んでいる、お遍路さんが居てお話しすると「雨の日は行動しない」との事。なにしろお遍路を始めて十年以上になり「急がず何時までも続ける」のだそうです。私には出来無い事だと思いました。雨具装備第一で出発してすぐに歯長峠に差しかかりました。次の寺まで15キロ。海抜400メートルの峠越えできついです。峠を登るとき考えていることは「登りは半分で半分は下りだ頑張ろう」です。それと峠の一番上は大抵トンネルになっていて登っている時にトンネルが見えると峠も終わりだとホッとしたものでした。43番明石寺到着すると本格的な雨になりました。雨具装備第二に変更。白いャ塔`ョにして内側に着る物を薄くします。少しでもトラックから見える格好にします。次の峠が鳥坂峠で海抜500メートル。歯長峠より交通量は格段に多く危険地帯でした。峠の半分は下り坂でブレーキをかけなければ危険です。自転車のブレーキは雨の日にかけるととてもよく磨り減ります。土砂降りに近い雨の中、鳥坂峠を登り鳥坂トンネルから下り大洲の町に入りました。その日は日曜日でトラックばかりでなく乗用車も多くメインロードへ横から入って来る車もとても危険でした。チョッと遅いお昼を関東にはあまり無いファミレスのジョイフルへ入りました。ビショビショのャ塔`ョで一人客。あまり歓迎されていないのは判りましたが休憩させてもらいました。ソコから次の宿泊地を内子に決めて電話で宿探しをしました。土砂降りの中「十夜ヶ橋」を通り内子までの5キロはとても大変でした。内子の町はとても落ち着いた昔ながらの町で内子座という大正時代の劇場があります。チョッと見学に行くと当日は内子町内の人の演券ュ表会をやっていて皆さんなり切ってカラオケや漫才を発表していました。
ブログ更新が遅れているうちに現実のお遍路は八十八ヶ所をめぐり、和歌山へ渡り高野山詣でを済ませて完了しました。ブログはこれからも時間系列を追いかけて続きますが、お遍路の目標達成をご報告いたします。
写真はお礼参りに伺った一番札所 霊山寺門前の私です。ここまで90キロを走りヘトヘトの状況でした。これから南海フェリーに乗って徳島から和歌山へ渡りました。
写真はお礼参りに伺った一番札所 霊山寺門前の私です。ここまで90キロを走りヘトヘトの状況でした。これから南海フェリーに乗って徳島から和歌山へ渡りました。