八王子で大昔、「紅茶専門店」をやっていたマスターブログ

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フェレステーレ(地の果て岬)

2010-07-12 15:27:00 | スペイン巡礼
サンティアゴ・デ・コンャXテーラでは、16世紀には巡礼者たちの病院だったところが五つ星ホテル為っていてソコに宿泊しました。建物の(田の字になっている)中心が礼拝堂そして周りの「線」が元病室で廊下に出ると礼拝堂のミサにそのまま参加できる構造になっていた。現在は病室が客室になっていた。

各「口」の真ん中は入口に近い方2つは噴水が有りそこで当時は「ヒル」が飼われていたとか。奥の二つは綺麗な庭園になっていてやはり当時は薬草園だったとか。

大きな地図で見る
この1階の部屋に宿泊。面白くて探検して歩く。同じ作りになっていて廻っているうちに迷ってしまう。現在は一階だけが客室になっていたが忙しいときは二階もあるらしい。

ダンジョンめぐりはロープレゲームの定番だがそれを実際の建物のでやっている気がしました。

やっと出口を発見して外へ。

大聖堂と同じように石造が飾られて歴史を感じる建物です。石造りの建物は壁の厚さがとても厚くトイレの外を覗くことも大変。

日本の木造文化とスペインの石造り文化の違いに大変な隔たりを感じる探検でした。
本日は、バスで地球が平板であると考えられていた時代の最果ての地「フェニステーレ」に行ってみた。
当時の地図では、地中海が真ん中でその周りにローマが有りエジプトが有りイスラエルが有りトルコが有りフランススペインが平板地図の西の果てだった頃の果ての果てがフィニステーレだった。イスラエルのイエスの弟子ヨセフ(スペイン語でサンティアゴ)が最果ての地へ布教に来てその後亡くなった後もその地の守り神になる伝説の大事な舞台がここにある。そして巡礼者がサンティアゴ・デ・コンャXテーラまで無事に到着すると「最果ての地」へ行き着ていたもの全てを焼き払い生まれ変わって再生すると言う大事な行事が合ったらしい。今では公害対策や環境問題で靴の紐一本だけ燃やすなどが行なわれているとか。代わりの紐を持っていなかったので私は東京から持ってきた石を最果ての岬にある石の十字架に積んで無事に到着できた報告をしました。

周りを見ると確かに「地の果て」。現代知識を持っていればこの海の向こうにアメリカ大陸があるはずだが・・・・。本当か?

これでスペイン巡礼が終ったわけだが不信心の私としてはこれからがとても楽しみだった。それはガリシアの海の幸と御土産探しでした。

これが有名な(オッパイチーズ)。他にも生ハムとかソーセージとかイロイロあるが農産物はほとんど日本国内へは持ち込めない。残念。

バールで一息ついて考えよう。カフェ・コンレチェ

フィニステーレのおみやげ物屋は江ノ島を思い出させた。

お昼は結願記念、ガリシア風ホタテの料理、ガリシア風タコ、ガリシア風タラとガリシア尽くし。



デザートのプリンも美味しかった。

さよならフェニステーレ岬。この先端に十字架が在った。

サンティアゴ・デ・コンャXテーラへ戻る途中に中世の橋を見物。のどかな時間が過ぎている所だと思う。

迷路のような旧市街に戻りおみやげ物探し。沢山有って迷いながら買い物を楽しむ。旧市街は狭く、すぐに町外れまで来てしまうが、旧市街の外側の公園から眺める大聖堂も中々良い。

又街へ戻りフラフラ。本屋さんで「Harumi Kurihara」発見。

他にもいろいろ発見があって楽しい散歩でした。楽しい時間の経つのは早くもう、暗くなって晩御飯の時間になる。ガリシアの海の幸!!!






ここまでで二本のガリシア白ワインが空いてよい気分。
フラフラと「CASINO」という旧いバールへ移動して甘いものを頂く。

歩いて、パラドールまで帰る道の充実した気分は最高のものでした。パラドール前から見た大聖堂。空には満月が輝き綺麗でしたが写真はピンボケ。

明日は日本に向けて帰ります。食べ続けたこの旅行で体重が「ドンだけ」増えているかとても不安です。
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