平成28年1月30日(土) 曇り
冬の五合庵を見たくなった。良寛の冬の生活の大変さを少しでも知りたいと思ったので車に長靴をのせて出かけた。
一時間10分ほどで国上山の麓に着いたが、ここからが大変だった。それまで道路には雪がなかったが山道になったとたんに雪道になった。それでも誰かが通った轍を進んだが登るに従い雪の量が増え苦労した。何とか国上寺の駐車場に着くことができた。それでも駐車場には二台の車が止まっていた。
長靴に履き替え山道を進むとまもなく国上寺に着くことができた。

ちょうどご住職が居られた。ご住職は「四駆でこられましたか」というので「四駆ではない」と答えると驚いておられた。確かにこの雪の山道では四駆でないと無理なのであろう。五合庵への道を聞くと「今一人行ったので足跡をついて行くと良い」と教えてくれた。ここからがまた大変であった。雪がかなり積った坂道を降りてゆくのだが長靴でも歩くのに苦労した。それでも10分ほど歩くと少し開けたところに杉木立に囲まれて五合庵はあった。


良寛はここで20年ほど生活をした。ここで良寛は坐禅をくみ、詩歌を詠み、ここから毎日のように托鉢に出かけたのであろう。道も今ほど整備されていなかっただろうし、雪もいま以上に積ったにちがいない。寒さと孤独に耐えながらの生活の大変さは容易に想像される。良寛の和歌には春の喜びを歌ったものが多いが、それも良く理解できる。
国上寺を後にして、道の駅国上で食事をした。

その後もう一箇所の良寛を訪ねた。近くの燕市分水良寛史料館に立ち寄った。

史料館前には良寛像と歌碑があった。

冬の五合庵を見たくなった。良寛の冬の生活の大変さを少しでも知りたいと思ったので車に長靴をのせて出かけた。
一時間10分ほどで国上山の麓に着いたが、ここからが大変だった。それまで道路には雪がなかったが山道になったとたんに雪道になった。それでも誰かが通った轍を進んだが登るに従い雪の量が増え苦労した。何とか国上寺の駐車場に着くことができた。それでも駐車場には二台の車が止まっていた。
長靴に履き替え山道を進むとまもなく国上寺に着くことができた。

ちょうどご住職が居られた。ご住職は「四駆でこられましたか」というので「四駆ではない」と答えると驚いておられた。確かにこの雪の山道では四駆でないと無理なのであろう。五合庵への道を聞くと「今一人行ったので足跡をついて行くと良い」と教えてくれた。ここからがまた大変であった。雪がかなり積った坂道を降りてゆくのだが長靴でも歩くのに苦労した。それでも10分ほど歩くと少し開けたところに杉木立に囲まれて五合庵はあった。


良寛はここで20年ほど生活をした。ここで良寛は坐禅をくみ、詩歌を詠み、ここから毎日のように托鉢に出かけたのであろう。道も今ほど整備されていなかっただろうし、雪もいま以上に積ったにちがいない。寒さと孤独に耐えながらの生活の大変さは容易に想像される。良寛の和歌には春の喜びを歌ったものが多いが、それも良く理解できる。
国上寺を後にして、道の駅国上で食事をした。

その後もう一箇所の良寛を訪ねた。近くの燕市分水良寛史料館に立ち寄った。

史料館前には良寛像と歌碑があった。
