今日は終戦の日。
終戦の翌年に私は樺太の真岡で生まれた。
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母の話では一歳の誕生日を収容所で迎え、北海道の父の実家へ引き揚げてきたが居場所が無く、同じ北海道の母の実家の土地へ移り父は職を得た。
小学生の頃の教室は悪童の集まりで、先生の言うことを聞かなかったからか、先生は「お前らはバカばかりだけれど、生まれた頃は食料もなく、ろくな栄養も摂れないで育ったので仕方がない。」というよな意味のことを言ったのを今でも覚えている。
確かに大したものは食べてはいなかったかもしれないが、ひもじい思いをした記憶はない。お昼はよく代用食と称して蒸かしたジャガイモばかりを食べていたように思う。それでもバターをのせたていた。
近くに澱粉工場があり、おやつ(?)に澱粉の大きな塊を薪ストーブに入れて表面を焼いて、それを剥がして砂糖をまぶして食べていた。
大根やニンジンはそのまま生でかじっていたように思う。
それが今ではダイエットしなくてならなくなっている。
良かったのか悪かったのか。