空の色が
海の色でした
遥かな隔たりに妨げられず
空の青が海の青でした
或る人の心の空の色がそのまま
誰かの心の海に届いている
というようなことも
ある
などと思いながら、私は
海を
海に届いている空を 泳ぎました
正確には - 私の海に届いている或る人の空を
(吉野弘 詩集より)
この詩が ふと思い出されます
たとえば、朝の読み聞かせの時間
小学3年生の子どもたちが しん・・と聴いてくれていて
あれ?面白くないのかな・・と どきどきしながら読み終えたとき
「もう1回読んで!!」
「すっごい!白いねこがきれいなおひめさまって、いいけど、でもその人、体が大きすぎるよ~」
「ぼくね、知ってる!ちょうちょが雨の日にはっぱのかげにじっとしてたの 見たことあるよ」
その他聞き取れないほど、口々に言葉が飛び出してくる! 一斉に
こんなとき、吉野弘さんのこの詩が ふと思い出される
私が発信したものを そんなに優しくうけとってくれるんだ
(小学3年生の頃の私は できなかったよ 優しくなかった)
私が発信したものが みんなに届いて
そして、また私に返ってきて(みんなの楽しいきもちが)
ちょっとてれくさいけど、とても嬉しいし、幸せだ
そう感じるときに 思い出される詩です
あと 眠れない夜 ベランダから空を見上げているときにも。
夜の空にうかぶ雲が 風にながれるのを見てると
海をながめている気持ちにもなれます