3連休。 わたしはやはり3時4時に目が覚めていたので、それを利用してふだんの週末とはすこしだけ、 ちがった時間を過ごしました。(日中はあいかわらず、掃除洗濯、食事のしたくをせっせとやっていましたが)
じぶんさがしの旅、とでもいいましょうか ・・・(笑)
おかげさまで、いつのころからか、朝から晩まで毎日毎日湧いてきていた、あらゆることへの不平不満のかたまりやその他、不要なものが消えてくれた感じ、します。
日々の活動のなかで、ひとつひとつの動きがスローモーになっています(こりゃ、しごとのうえではまずいのか・・ あ、でも焦ってあわわあわわ、するよりまだ、いいのかも) スローで、かつ丁寧です。
悟った。 ばかになれ、ってこと。 あ、訂正、素直になれ、ってこと。 うーん、むずかしいですね。 うまく説明できませんが しごとをしていくうえでも家庭生活も 自分がやるべきことをもくもくとやるだけだと思います。
そしたら そのなかにしあわせがあるんだと思います。
そんで、脈絡なくいきますが ばかになろう、素直になろう、相手のふところにとびこんでいこう、そういうことを悟った 相手っていうのは、ひろーく全ての人たち、生きていくなか関わっていくすべてのひとたちです。 でも、はねかえされたら、そのときは・・ そのとき、考えよう ま、臨機応変に。
と、思い悩んでいた日々をちょっと乗り越えた感があったので、ちょっと語ってしまいました
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ころっとはなしはかわりますが 20年ぶりに読み返した。 「村上春樹さんはすごいな」と 村上さんの作品を読んだ最初の小説です。 「カンガルー日和」「パン屋再襲撃」は20年のあいだに たびたび読み返していたけど、この1冊は、ほんとうに20ねんぶりに再読。
興味深い、おもしろい。
講談社文庫 回転木馬のデッド・ヒート 著者: 村上春樹 |
たとえば僕が小説を書くとき、僕は自分のスタイルや小説の展開に沿って、ごく無意識のうちに材料となる断片を選びとっている。
しかし僕の小説と僕の現実生活は隅から隅までぴたりと合致しているわけではないから(そんなことを言えば、僕自身と僕の現実生活だってぴたりと合致してはいないのだ)、どうしても僕の中に小説には使いきれない「おり」のようなものがたまってくる。
僕がスケッチに使っていたのは、その「おり」のようなものだったのだ。そしてその「おり」は僕の意識の底で、何かしらの形を借りて語られる機会が来るのをじっと待ちつづけていたのである。
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他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感に捉われていくことになる。
「おり」とはその無力感のことである。
我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。
我々は我々自身をはめこむことのできる我々の人生という運行システムを所有しているが、そのシステムは同時にまた我々自身をも規定している。
それはメリー・ゴーラウンドによく似ている。
それは定まった場所を定まった速度で巡回しているだけのことなのだ。
どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。
誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。
しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。
つめたいよるに |
江國香織/著
これは15年ぶり。 しばらくこの2冊をよみつづけることになりそうです。
さて、夏のさわやかな休日が過ぎていきます。現実逃避したくなるけど、がんばろ(悟ってないじゃん、現実逃避しようとしてるじゃんっ) ばかになる、というか、わたしはとてもおばかさんだったな、ということを自覚して、らくに生きていこう (^-^)
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