今年は冬らしい冬でなかなかイイ感じですね。冬の空気感は好きです。
暑いより圧倒的に寒い方が好きです。寒さは着こめば耐えられますからね。
さて今回のお話は、またまた転職します。このブログ書き出して3回目の転職です。居酒屋辞めてマスターじゃなくなったのに表題は相変わらず串屋マスターのままです。油屋、タクシーときて今回は自分が何屋と呼ばれるようになるのかまだよくわかりません。
先日、先様と最終面談をして内定をいただき、4月より新しい会社へ転職する運びとなりました。
この話、居酒屋時代からのお付き合いで、とてもナイスガイな友人から現在自分のいる会社に来てほしいとのオファーをもらいました。50半ばを過ぎたこの歳で転職のオファーが来るなんて想像もしていませんでした。人生何が起こるかわからない物です。人のご縁のありがたさを痛感しています。
正直、このまま安全運転で75歳の嘱託運転士の定年(65歳以降は嘱託で継続できる)まで、タクシードライバーやる気でいましたので自分でもこんな話が来るなんてと、内定いただいた今でも驚いています。
面談の際に、これまでの仕事の経験はもとより、年齢のこと、健康状態のこと、家内の健康のこと等、包み隠さずお話したことで、上席の方々はだいぶ悩まれたそうですが、最終的に友人の後押しもあり、晴れて転職することとなりました。
そりゃ、50半ばのおっさんで心臓病持ちって言ったら、普通の人事担当はビビりますよ。こらダメだって思うのが普通だと思います。私も長く採用やってましたからその辺考えて、良い話ですが最終決定が出るまで、直上の上司と家族以外誰にも話せずにいました。
最終内定をいただいてから、現職だったタクシー会社へ退職の意思を伝え、乗務中の事故リスクを考え、今日現在ですでにタクシー会社は退社しています。皆に突然退職の話をしたところ、タクシー卒業だね頑張ってねと、皆さんから暖かい言葉をいただき、普段シフトの合わない先輩方からも別に送別会を開いていただくなど本当にありがたく思い出深い退職となりました。
この4年間のタクシー人生についての想いは別に上げたいと思っています。
さて、新しいお仕事の内容は、ザックリ言えば化学原料メーカーの環境事業営業です。
会社のメイン事業は、有機酸原料の製造販売です。発酵の技術も持っているのでそっち系の製品もやってたりします。最終製品が小売店の店頭に並ぶようなものを作っている会社ではないのですが、その筋ではかなり有名な会社で、私も昔から社名は知っていました。
その中で製造残差をメタン発酵させて出たバイオガスを使って電気造って売ったりしています。製造残差だけでなく、お取引先からの処分品受け入れなんかもしているようで、その辺の営業力強化がメインのお仕事のようです。この環境事業部の営業担当とし働かせていただくことになりました。営業のみならず、処理工程のマニュアル作成やデータの定量化なんかも視野に入れての採用だそうです。
会社としては、今後この環境事業自体をとても伸ばしていきたいと考えているそうで、その辺の知見を持った人間を探していたところ、かの友人が私のことを推薦してくれ、上席の内諾の上で話をもってきてくれた物でした。
直接彼の下で働くわけではないですが、環境事業部は会長様直属の部署ということで、その力の入れようが伺え、時間がたつほど「えらい仕事を受けてしまった」という感じが強くなってきています。面談の際、会長様の想いを直接伺い、いやマジでえらい仕事を受けてしまった・・です。でもこの歳でチャレンジさせてもらえるのはありがたいことです。こうなったら引くわけにはいかないので、周囲を巻き込み結果につなげていくしかありません。そのためには、「仲間に入れてもらう事」そして「仲良くなること」が肝要と考えています。まずは謙虚に職場の皆さんとコミュニケーションをとり、早く直接の業務内容を覚え、整理し、自分の物にしたいと思います。短期間でプロにならなければならないので、こりゃ大変です。今からせっせと関連書籍を読み漁り、知識の焼き直しと、必要になるであろう予備知識を仕入れている最中です。タクシー会社を早めに退職し、わざと時間を空けたのは、引っ越しもさることながら、この時間を作るためだったりします。
ありがたいことに、油屋時代に色々な廃棄物関連の会合や、勉強会、シンポジウムなどに行かせてもらい、勉強させてもらっていた経験があるので、バイオガス関連も全く未知の世界というわけでもないのは助かります。大手食品メーカーや、自治体主導の第3セクターのバイオ処理施設など見学させてもらったり、グリストラップ残差や汚泥の処理などで培った知見は概ね使えるとは思います。が、油屋時代と同じ廃棄物処理業の許可業者ではあるものの、立ち位置がゴミ屋さんではないので、どこまで手持ちの知見が通用するかは不透明ですので、また日々勉強の積み重ねになります。活字ではわからないことが現場にはたくさんありますので日々勉強です。後は体力の増強も急務です。4年のタクシー乗務で体重は+10キロ、筋力の大幅ダウンはかなり痛いです。まずはウォーキングと軽い自重トレーニングから初めてみていますが、もう筋肉痛です。心臓にあまり負担かけないように気をつけながら頑張ります。
入社直後は、まずは「会社の社是」と、「上席が考えている、事業をどの方向へ伸ばすのか」をシッカリ腑に落とすことが需要だと思っています。会社が望む方向へ事業を伸ばすのが肝要で、昔取ったキネズカ的な変なプロ意識はきっぱり捨てて、新しいことに真摯に取り組んでいきたいと思っています。
企業人として残り時間が少ない転職なので、目に見える実績を残し、紹介してくれた友人に何とか恩返しをしなければと思います。
これに伴い、引っ越しします。静岡、磐田市です。ジュビロ磐田の磐田です。なにしろ遠いので伊勢原から通うのは無理なので引っ越すことにしました。単身も考えましたが、家内が移住をあっさり選択しましたので母含め、みんなで移住です。地図で見ると浜名湖の東側の天竜川東岸になります。南側は遠州灘です。市内にはヤマハの本工場、スズキの竜洋テストコースなんかがあります。もちろんジュビロスタジアムもあります。雰囲気は平塚大神や広川あたりに似てる感じです。ららぽーとやイオンモール、大手家電量販店や飲食チェーンもフツーにあります。もちろん地方スーパーのアピタピアゴもあって日々の生活するには特に困らなそうです。近隣で一番栄えている浜松までも天竜川渡ればすぐなのでそんなに困ることは無いと思われます。ですが、銀行がありません・・・信金がメインのエリアなようです。本厚木にもあるスルガ銀行、静岡銀行の支店すらないのには驚きました。地図上で確認すると、色々なものが旧地名のエリアで分かれていて、駿河、遠州、浜松、三河と分かれているようです。その辺の感じは神奈川にはそれほど色濃く残っていないのでさすがに広大な静岡だなと思いました。
新しい移転先は海からの距離感は平塚神田エリアぐらいな感じなので、南海トラフ地震の津波の範囲ではないようで、とりあえず一安心です。とはいえ伊勢原より強震域であることには変わりないので心つもりは必要なようです。ただし、富士山噴火の脅威からは逃れられる感じです。
何度か引っ越しは経験していますが、県外移転は初めてです。しかも引っ越しといっても厚木、平塚、伊勢原しか動いておらず県央エリアから出たことがありません。これにはかなりの決断力が必要でした。娘もまだ小学生ですので、転校しなければなりませんし、県外だとどんなところか全くと言っていいほど手持ち情報がありません。静岡は焼津あたりまでは回収実務や、営業で行っていたので何とか土地勘はありました。もう少し足伸ばして岡崎名古屋あたりまで行けば営業で行っていた経験あるのですが、浜松周辺はほぼ行ったことのないエリアになります。面接のため、新幹線で行きましたが片道2時間半オーバーです。伊勢原からだと車で行っても同じくらいです。なんとかネットで情報を拾い集め、最終的には実際に家族全員で見に行ってみて移住を決断しました。
強烈遠いなぁ~すぐには帰ってこれないなと思うと無性に寂しい気持ちになってしまいました。生まれ育った町にはあまり未練は無いのですが、神奈川という土地自体にものすごい愛着があったので、離れるとなると何とも言えない気持ちになってしまっています。特に伊勢原については特別な思いがあるので寂しさひとしおです。子供のころから見ていた大山や、富士山が見えなくなること相模川や湘南の海が見れなくなる寂しさは言葉になりません。この歳になってタクシー乗って改めて、このエリアの素晴らしさに気が付いていただけに、かなり残念です。
それに、なにより大切な友人もいます。たまにしか会わなくてもヒョイッと会えなくなるのは寂しいことこの上ないです。まぁ、最近はZOOMやらあるので連絡取ろうと思えば顔見ながら話せるといえばそうなんですが、やはり寂しさはぬぐえませんね。実はまだ彼にも話していません。
これ見てびっくりするんだろうな。おかしいなと思ったら、スマホ変えたようなので謎が解けたので連絡頂戴。よろしく。
現在は新居も決まりまして、引っ越しの準備で昼間は荷造り、夜は勉強の日々であります。
う~ん伊勢原から離れるのは、やっぱり寂しいなぁ。
悪戦苦闘に3年、何が起こるかわからないもんです。
zoom始めといてよかった♪
転職自体もさることながら、そこはやはり体調健康が大丈夫かな?が第一印象です。動くようになる事が良い方向に作用する事を願っています。
磐田は弊社のお客様も多いエリア。
比較的新しく大きな施設にはあるかもね。
静岡なのに富士山見えないなんて…(@_@)